今、横浜ではみなとみらい地区で、「横浜開港祭」が行われている。
第36回目だそうだが、当初は「横浜どんたく」と言っていた。ドンタクは、オランダ語のサンデー、日曜日で、長崎でオランダ人が休日にパレードをしたことが語源だそうである。
横浜で、このイベントを始めたのは言うまでもなく、横浜のJC、横浜青年会議所で、実際の企画、運営をやっていたのは、私の大学の劇団の後輩のGという男だった。
彼は、1968年に早稲田に入学してきた者で、「東京の方が面白そうだ」とのことで京都の同志社大を辞めて、入学してきた男だった。
劇団では製作などをやっていたと思うが、評判は良くなかった。
ただ、名は有名だったようで、村上春樹の『風の歌を聴け』には、その冒頭に彼らのグループのことが書かれている。
私は、ほとんど関係がなかったのだが、卒業後、横浜で再会し、博報堂の下で横浜ドンタクをやっていると言い、「横浜JCの連中の悪口をさんざ聞かされた」
だが、JCの知り合いに聞くと、事実はまったく逆で、Gは金をごまかしているとのことだった。JCも大したもので、ある年にGの悪行を見逃した後、翌年に事実を突きつけてGと手を切って、自分たちでやることにしたのである。
イベントなど、やろうと思えば誰でもできるものなのだ。
その頃、Gの噂をいろいろと聞くことになった。それは、同じ仲間だったKという男が急死した時だった。
私も、多摩での彼の葬式に行き、香典は出した。その後、Kの遺稿集を作る云々からトラブルが起き、仲間割れになったというのだ。
その原因は、Gが香典をごまかしていたというのだ。
実に、けち臭い話で呆れたものだ。香典などごまかしたところで、大した金ではないのに。
横浜JCとの件と言い、人間のやり方は、変わらないものだなと思った。
Gとは、今は全国の地方の村興しのプロデューサーをやっている、後久博先生である。