『ぶっつけ本番』

昔から見たいと思っていた作品。ニュース映画カメラマンで、実在の人物松本久弥をモデルにした1958年の東京映画。原作小笠原基生、脚本は、笠原良三、監督は佐伯幸三。

1946年品川駅、シベリアに抑留されていた報道映画社のカメラマン・フランキー堺が戻って来る。出迎えるのは、妻の淡路恵子と会社の上司佐野周二で、報道映画社とは、戦中からの日本唯一のニュース映画社、日本映画社である。

日映は、1941年の映画法の施行で、諸ニュース映画社が統合されてできた日本唯一のニュース映画の社団法人で、戦後は民主化されて、この頃は日映新社となっている。

日映は、国策会社だったので、戦地で50名も戦死しているそうだが、逆に言えば徴兵猶予は普通は受けられたはずで、フランキーが徴兵されているのは、作品中の台詞に出てくるように学歴もない、エリート社員ではなかったからなのだろうと思う。

戦時中から戦後にかけて、とても信じられないだろうが、ニュース映画カメラマンは花形の職業で、女性に大変にモテたのだそうだ。

そりゃそうでしょう、「戦争の時代」に戦地を駆け巡っている男なのだからモテたのも当然だ。因みに、ニュース映画ではないが、向田邦子の愛人だった方は、記録映画のカメラマンだったとのこと。

戦後の混乱期で、フランキーは現場に勇敢に突進してゆき、下山事件でも警察の非常線を越えて現場を撮影する。照明はなくて、助手の仲代達矢が発煙筒を焚いて光らせる。

清水港での貨物船火災では、海上保安庁の制止を振り切って子供に漁船を漕がせて船に登り撮影してしまう。

三鷹事件、そして血のメーデー事件でも、デモ隊の中に潜んで撮影し、遂には投石で怪我を負ってしまう。とも角型破りのカメラマンなのだ。その中で、助手の仲代ら若手はテレビ局に行く。

戦災孤児のキャンペーン映像など、成果を挙げて来年からはチーフになるという年末、品川駅での引揚者の撮影中に、隣の線路を疾走して来た国電にはねられて死んでしまう。

会社の上司は、佐野の他、小沢栄太郎、中村俊一ら、同僚に堺佐千男、増田順二、事務の女性に吉行和子、別の社のカメラマンに守田比呂也など新劇人の出演。赤線の女で、塩沢ときが出ている。

フランキーが持っているのは、アイモで、もちろん録音はできず、撮影時間も数分だけだったが、耐久性と簡便さで、戦後のずっと使われていたようだ。

勿論、大型の同時録音できるカメラもあり、それは固定された場所で全景等の撮影に使用されている。

1960年代前半、ニュース映画は徐々にテレビニュースに代わられていき、そうした失職したスタッフは、ピンク映画の供給源になる。

同時に、戦時中から映画法の規定で、ニュース映画、文化映画、マンガ映画等を上映していた、大手の系列に属さない独立系の映画館も、急速にピンク映画の上映館に代わってゆく。

そして、テレビ業界にENGカメラが導入された時、最終的にニュース映画出身のカメラマンたちは姿を消すことになったのだそうだ。

日本映画新社もすでになく、多くの映像はNHKに移管され、権利は東宝が所有しているようだ。

日本映画専門チャンネル

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