今、横須賀市では市長選挙が行われている。
立候補者3人の内、上地克明氏は、父親がもとは沖縄で、戦後南方から引きあげてきて横須賀に住んだ方だと出ていた。
先日、横須賀の中の沖縄のことを書いたが、やはり多くの人がいたのだった。
多分、上地氏の父は南方でも日本軍と関係した仕事をしていたとすれば、戦後横須賀に駐留していた米軍関係の仕事をするのは都合が良かったのだろうと思う。
戦後、1970年代まで、横須賀の経済圏は結構強くて、横浜でも金沢区の南半分は横須賀の経済圏だったそうだ。
横浜の市会議長で、金沢区六浦にいた相川藤兵衛先生から聞いた話では、専売公社のエリアは、六浦は横浜ではなく、横須賀支店だったそうだ。
いかに日米軍の基地の経済圏の力が強かったかを示すものだろう。
その基地が縮小しつつある今日、横須賀の人口が減少し、経済的にも苦境にあるのは仕方のないことだと思う。