関大法学部に1番で入った男、上田利治 死去

上田利治監督(阪急)
第29回日本シリーズ第7戦:上田監督抗議シーン

阪急、日本ハムで監督を務めた上田が死んだそうだ、80歳。

上田は、関西大学時代は投手村山とバッテリーを組んだ捕手だが、「関大法学部に首席で入った選手」と言われていたそうだ。

それを聞いたのは、元南海の大投手杉浦忠で、毎日放送のスポーツ番組でのインタビューだった。

「上田さんは関大法学部に1番で入ったというのは本当ですか」と杉浦は聞いた。

すると上田は、

「一番ではありません。2番ですが、1番だった方は京大に行ったそうで、その意味では1番かもしれませんね」と答えたのだ。

私が「上田は非常に頭がいいな」と思ったのは、阪神で村山実が監督になった時のことだ。

この時、村山は投手との兼務のプレイング・マネージャーだったので、大学時代の同僚の上田をヘッド・コーチとして招聘したのだが、上田はこれを簡単に断った。

阪神の村山監督は長く続くことはないと読んでいたからだろうと思う。

その通り、村山監督は3年で終わりだった。

その後、上田は阪急で西本幸雄監督の下でコーチとして活躍し、監督にもなり阪急の黄金時代を作り出した。

また、日本ハムでも監督を務め好成績を収めたが、大成功とは言えなかった。

一番ひどいと思ったのは、パリーグの優勝争いの時に、「妻が新興宗教に凝って云々」というスキャンダルを出されて監督休養になり、急に成績が降下したことだ。

その意味では、人間的に嫌われるようなところもあったのかもしれないが。

大きな足跡を残した監督のご冥福を祈る。

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