横浜シネマリンでは、「溝口健二&増村保造映画祭」をやっていて、今日は溝口健二の『山椒大夫』が上映されるので見に行く。
『山椒大夫』を最初に見たのは、多分横浜の昔のシネマジャックで、その後BS等でも見ているが、映画館で見ていないので、久しぶりに見ることにした。
私は溝口健二では、この『山椒大夫』が一番好きなのだ。『西鶴一代女』も良いが少々長いし、『近松物語』は、脚本は素晴らしいが、映像としての美しさでは『山椒大夫』の方が上だと思う。
話は、安寿と厨子王だが、父の清水将夫が領民に善政を施したために筑紫に流される。領民たちが清水を慕って流されるのを阻止しようとするあたりから、涙が出てくる。
善者が左遷されるのは、昔からあったことで、今でいえば前川元文部次官だなと思う。
田中絹代以下の家族が父の後を追う。厨子王は津川雅彦で、安寿は榎並啓子、彼女は成瀬巳喜男の『お母さん』にも出ている有名な子役だったようだ。
一夜の宿をしてくれる巫女が毛利菊江で、実は人買いの手先。
騙されて、田中絹代は佐渡に売られ、厨子王と安寿は丹波の国、由良の長者山椒大夫の荘園の下人に売られてしまう。
山椒太夫は進藤英太郎で、これが非常に良い。手下には見明凡太郎など、ただ長男太郎の河野秋武は、奴婢の扱いの非道さに悩んでいる。
ここから厨子王は、花柳喜章に、安寿は香川京子になる。香川は良いが、花柳は、よくこれで溝口がOKしたなと思うほどの大根。死に損なった老女を命じられて山に捨てに行くとき、厨子王と安寿は昔の日々を思い出し、逃げることにし、安寿は池に身を投げるが、厨子王は国分寺に逃げて助かる。この僧が香川良介で良い。この映画は役者が非常に良い。
香川の添え状を得て、厨子王は京に上り関白に実情を願い出て、身分が復され丹後の国司になる。
由良に行き、山椒大夫から所領を没収し、奴婢を自由にするシーンが笑える。
みな、酒池肉林で大騒ぎするのだ、まるで下層大衆は、自由にするとこうなるものだと言うばかりに。
最後、官職を返上した花柳は、一人で佐渡に行き、盲目になった母の田中絹代と再会する。
見終わって私が、これを好きなのは、「母もの」だからではと思った。
劇場を出るとき、館主の八幡さんに会ったので、「デジタル上映か」を聞くと、「今回は『西鶴一代女』以外はデジタル上映だ」そうだ。
音が少しキンキンしているのでは、と聞くと、場面によって音の大きさが上下してしまうのもあるとのこと。
美術は伊藤喜朔ですごいが、衣装も非常に良いなと思った。
コメント
『これは、人が人としての目覚めを持たない、平安朝末期を背景に生まれた物語である.
それから数百年、庶民の間に語り伝えられ、今日もなお 人の世の、嘆きの限りをこめた説話として知られている』
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映画は、この字幕ではじまります.
この言葉の意味をしっかり考えれば、
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由良に行き、山椒大夫から所領を没収し、奴婢を自由にするシーンが笑える。
みな、酒池肉林で大騒ぎするのだ、まるで下層大衆は、自由にするとこうなるものだと言うばかりに。
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などと言えないはず.
『まるで下層大衆』
あなたはよほどの上層階級の方なのですね.
溝口健二は、世界はいずれ社会主義社会になると死ぬまで思っていたそうです。
字幕の意味は、その意味では、人間が社会主義社会で目覚めるという意味だと思います。
『赤線地帯』のシナリオ・ハンティングで、浅草に行った時、彼は女性たちの前で、「男が悪いのだ」と言って泣いてしまったそうで、さらに、これも社会主義になれば解決されると思っていたようです。
実際は、旧ソ連にも、売春婦はいくらでもいたのですが。