『空海 美しき王妃の謎』

愚かしいの一語につきる。

そもそも、「空海」という題名が羊頭狗肉で、空海よりも唐の玄宗皇帝と楊貴妃のことが主である。さらに、ファンの方には申し訳ないが、染谷翔太君は、可愛くて到底空海には見えず、マルコメ味噌の小坊主である。

筋は、空海が白楽天とともに、30年前の玄宗皇帝と楊貴妃、李白、阿部仲麻呂などの幻想の世界を旅するというもの。

玄宗皇帝の時期は唐の最盛期だったのか、「極楽之宴」が行われるが、ここの金の掛け方はすごいが、またここしか見るべきところはない。

それにカメラが常に動いているので、まるでテレビのカメラワークで、ドラマが存在しない。黒澤明は、無駄にカメラを動かしてはならないと言っているが、無駄に動かすことがカメラワークだとでもいうのだろうか、チェン・カイ・コー監督よ。

テレビのイベントの中継という感じしかない。

だが、この愚作の製作が、KADOKAWAの角川歴彦だとなると、そこには別の意味があるように思えた。

それは、「極楽之宴」(まるでジュリアナ東京のような歌舞)が実際にあった、1980年代末の日本の「バブルの宴」の一端を担った角川映画の角川春樹氏への批判なのかと思えたのである。あれは愚かしい時代で、それに乗った角川映画と角川春樹氏の経営手法は間違いだったということなのだろうか。

だが、それは角川家の兄弟の争いの問題であり、それを映画のテーマにされても困るというものだ。

チェン・カイ・コーについても、人間裕福になると駄目になるものだなということなのだろうか。

興味深いのは、玄宗皇帝と楊貴妃は、中国の俳優だが、奥田英二と草笛光子によく似ていることだ。

溝口健二監督の1955年の『楊貴妃』では、玄宗皇帝は森雅之、楊貴妃は京マチ子だったが、草笛光子も確かに美しい女優だ。彼女は、役者として演技も非常に上手いと思うが、なぜか主演作がなく、成瀬巳喜男作品などの東宝の秀作の脇役が多い。やや強烈な個性には欠けるからだろうか。

東宝シネマズ上大岡

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