浦山桐郎と『私が捨てた女』

朝日新聞の「愛の旅人」に浦山桐郎と『私が捨てた女』が特集されていた。
生前の浦山を一度だけ見たことあがる。
昼間の神宮球場で、日拓ホームフライヤーズ(今の日ハムを1973年だけ所有していた不動産屋会社 社長の息子が神田うのと婚約)対阪急だった。監督は土橋、主将は張本だったと思う。

バックネット裏をうろうろしている中年男がいて、よく見ると浦山だった。
彼は、有名な阪急ファンで、8ミリカメラを持って撮影していた。
試合の中身は全く憶えていないが、浦山がいたのはよく憶えている。
1969年の『私が捨てた女』の後、74年の『青春の門』までの間、ずっと映画が撮れなかった時代である。

『私が捨てた女』も変な映画で、最後は幻想シーンで、河原崎が捨てた貧民の小林トシ子と、金持ち女で河原崎が結婚した浅丘ルリ子が一緒に川で洗濯している。
言うまでもなく、将来は両者が和解してほしいという彼の願望である。
勿論、それは社会主義社会の理想の姿なのだ。
浦山は、「社会主義」と「リアリズム」を死ぬまで信じていた。
今考えれば、悲惨と言うしかないが、その後のソ連崩壊を知らずに死んだのは、幸福と言うべきか。

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コメント

  1. memaido より:

    こんにちは
    はじめまして、楽しく拝見させていただきました。

    またちょくちょく拝見させていただきます。

  2. ☆小泉堯史監督「博士の愛し

    たぶん原作もこんなもんだろうと思う。(間違ってるかもしれませんが) 博士(寺尾聰)の義理の姉、だか妹だかの浅丘ルリ子がなぜあんなに嫉妬深くて意地悪なのかがよく判らなかった。正…