撮影監督の「たむらまさき」が亡くなったそうだ、79歳。
経歴は「岩波映画を出て・・・」となっているが、その前に人形映画製作所にいたことがあるのだそうだ。
この社の幹部は全員共産党員で、いわゆる「トラック部隊」だったとされている。
トラック部隊とは、菅原文太のトラック野郎の集まりではなく、日本共産党の資金稼ぎの部門の総称で、中小企業を舞台に資金を横流しする組織だった。一応、人形アニメーションは作っていて、主にアメリカのテレビ用のものだったようだ。
大映は、『羅生門』などの海外での売却益の消化のために、ディズニー作品の日本配給をやっていた。当時は、今のように外国為替の交換は自由ではなかったので、その国で消費するしかなかったのである。その逆に、米国との日本での合作映画も、日本での利益の消化のためもあったのである。
ある時、アメリカのアニメの試写を大映本社でやった。
その時、永田雅一社長は言った。
「やはり、ほんまものは違うな!」
だが、本当は日本で作られた映画だった。
映画『竜馬暗殺』など、1970年代の日本映画に大きな足跡を残したカメラマンのご冥福をお祈りする。
撮影監督たむらまさき氏死去 79歳 映画「竜馬暗殺」「萌の朱雀」CM「リポビタンD」など
映画「竜馬暗殺」(黒木和雄監督)「EUREKA」(青山真治監督)「萌の朱雀」(河瀬直美監督)などを担当した撮影監督の、たむらまさき(本名・田村正毅=たむら・まさき)さんが23日に肺炎のため死去していたことが28日、分かった。79歳。青森県出身。儀は近親者で営んだ。喪主は妻秀子(ひでこ)さん。
「さらば愛しき大地」(柳町光男監督)で毎日映画コンクール撮影賞を受賞した。