『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』

新文芸座が2本を同時にやっていたので、見に行く。
どちらも優れているが、戦争映画としては『硫黄島からの手紙』の方が圧倒的に良い。
と言うより『父親たちの星条旗』は、戦争映画と言うよりも硫黄島の擂鉢山奪取の有名な星条旗を揚げた写真の兵士たちについての、内輪の実話ストーリーである。
勿論、充分面白く、またあの写真をめぐる国はもとより、地方の実業家など硫黄島の英雄を利用しようとする人間のドラマは大変面白い。
英雄帰還ページェントの演出も、極めてアイロニカルだが、アンドリュース・シスターズ風のコーラスなど、芸能史的にも大変よく出来ている。

『硫黄島からの手紙』は、ここまで日本をきちんとアメリカに描かれては、「日本人はどうしたらいいのでしょうか」と言うしかない。
イーストウッドの、渡辺謙や伊原剛志ら日本人俳優への演技指導はきわめて自然である。
『男たちの大和』など、日本の戦争映画にある、大げさな芝居が全くない。
むしろ二宮がバケツの糞を捨てに行くことを命ぜられ壕を出ると、アメリカの大艦隊を発見し、思わずバケツを取落としてしまうなど、ユーモアがある。
大悲劇はときとして大喜劇であることを痛感させられる場面である。
日本人の描き方は、極めて公平で正確。
唯一おかしいのは、憲兵上がりの加瀬亮が犬を射殺する事件に遭遇するときの、母親と子供たちの和服姿や、主人公の二宮に赤紙が来た時の、愛国婦人会の女性の異常に調子の高い台詞とタスキに書かれた「愛国婦人会」という文字の弱々しさくらいしかない。
カラーだが、戦闘場面は色を消してモノクロのようにし、爆弾が炸裂する赤や黄色が鮮烈な印象を与える。色彩を落とす手法は、1960年に市川崑が映画『おとうと』で大正時代を表現するために取った手法だが、これもその「銀残し」なのだろうか。

『父親たちの星条旗』に見られるように、英雄を利用して大ページェントを国威発揚と戦時国債の販売促進するなど、アメリカ社会の総て事柄へのエンターテイメント化は、戦前からあったことを再認識した。
音楽はどちらもレイニー・ニーハウス。
ウエストコーストのジャズ・ミュージシャン(サックス奏者)で、イーストウッド作品の音楽をよく書いている。彼の映画では、コンテ・カンドリ(ピアノ)などのミューシャンもよく使う。余程ジャズが好きなのだろう。

ともかく、イーストウッド先生に日本映画界も、たまには映画制作をしてもらった方が日本映画発展のためではないか。
外人監督は、ヒルマンやバレンタインなどプロ野球では常識なのだから。
映画界だけが、まだ非常識と言うことなのだろうか。

いつか日本側が『父親たちの星条旗』を作れる時代が来るだろうか。

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