5本のドキュメンタリーを見た

東京国際映画祭の『映画が見た東京』特集の「ドキュメント東京」の5本を見たが、一番面白かったのは、昭和22年に東京都都市計画課が作った『20年後の東京』だった。

他は、NETテレビ(現テレビ朝日)の番組「日本発見シリーズ」で土本典昭が作ってお蔵入りした『東京都』と、それを各務洋一が再編集した『東京都』
この2本は、続けて上映され、私は土本版がお蔵入りしたことは知らなかったので、同じショットやナレーションの内容が似ているのでおかしいと思ったら、再編集版と原版だった。
1962年で、東京オリンピック直前の建設ブームの東京、特に西口開発が着手された新宿が出てくる。今はない新宿西口にあった美空ひばりから吉永小百合までが卒業した精華学園がある。畑と林だったところに建設したのに、いつの間にかすべてビルになってしまったのだそうだ。
また、各務版には若死した落語家春風亭柳朝の人形町末広での高座が、土本版には日劇での坂本九、ジェリー藤尾、森山加代子、渡辺トモ子らのロカビリーが出てくる。
土本、カメラマンの奥村昭夫らのトークショーの後、1958年に羽仁進、勅使河原宏らが海外向けに作った日本紹介映画『東京1958』
ほとんどがフランス語のナレーションだったので内容はよく分からず。パートカラーだが、これの画質がひどかった。
中でラジオの「素人ジャズのど自慢」が撮影されていて、司会が丹下きよ子。『セブンティーン』を歌った女の子はちよっと可愛いくて、合格したが、これはやらせだったのだろうか。
その後、優勝賞品の電気製品を下町の自宅に持ってくるところがすごい。大変な貧乏長屋なのだ。

その後の土本典昭のデビュー作『路上』は、タクシー運転手の目で見た東京だが、かなり芸術的な映画で、その後の『水俣』等の土本の作風とは随分違う。

問題の『20年後の東京』は、昭和22年、東京の焼け野原の空撮から始まり、これを「白地図に計画できる都市計画の千載一遇のまたとない機会」として始まる。
計画の目標は3つあり、まず1友愛の都 2楽しさの都 3太陽の都 と理想が謳われる。
戦後民主主義の最たるもので、友愛においては、日本の都市は封建時代の城郭が起源で民衆のものではないとし、相互友愛に基ずくべきとする。地域、さらに家には広場があり、そこで厚情を交わすのだそうだ。
さらに、地区計画として用途地域の区分が説かれ、交通、港湾、緑地等も計画的に配置されるべきが力説されている。
総じて、この計画者たちの理想は、ソ連のソフォーズ、コルフォーズ、後の中国人民公社のような共同体都市らしい。
本当に、20年後、すなわち昭和42年には、東京はオリンピックも経て、世界の大都市にになった。
だが、この計画の恐らく数パーセント程度しか実現しなかっただろう。
言うまでもなく、土地所有権の問題である。 
そんな都市ができなくて良かったと思う。
東京の魅力は、無秩序であり、無計画性なのだから。

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