『黒船』

新国立劇場のオペラハウスで山田耕作作曲のオペラ『黒船 夜明け』を見る。
意外にも戦意高揚作品ではなく、日米友好親善を希求するものだった。
初演は昭和15年11月の、「紀元2600年奉祝公演」と太平洋戦争の1年前だったので(戦時中の山田の戦争協力は有名で、戦後音楽評論家山根銀二との間に論争になった)、この頃はまだ山田も積極的戦争協力派ではなかったのだろう。

原作は、アメリカ人のパーシー・ノエルのもので、当初は1920年代にアメリカでのオペラ公演を目的に、山田が作曲を委嘱されたとのこと。
話は、幕末下田の所謂「唐人お吉」だが、ここでは吉は「ラシャメン」ではなく、アメリカ人領事にも日本の勤皇の志士のどちらにもなびかない人間になっている。
人物の性格が明確なのは、日本的ではないが、序景の下田の村祭りなどは、戦後多数作られたマキノ雅弘の映画の祭りのシーンのように見えた。
このあたりの音楽は、マキノ映画おなじみの鈴木静一の抒情的なメロディーによく似ていたが、それは鈴木が山田の影響を受けているのか、日本の祭礼等を音楽化すると自然にあのようになるのか。

山田耕作の音楽は、さすがに大したもので、帰りバスにオペラ・ファンの中年婦人たちが乗っていた。
その会話で、以前日本語の『カルメン』を友人と見ての帰り、連れに「今日のオペラは何語だったの?」と聞かれたたというのだ。勿論、日本語上演だったのだが。
西洋の言語であるオペラを日本語に直すと、アクセント、抑揚等が違うので、日本語としては全く意味不明になってしまうことがある。
それに対して、『黒船』では、完璧に台詞が分かった。
山田は、日本語を音楽化することに大変苦労したそうで、先日も話題にした『赤とんぼ』も、日本では様々な抑揚があることから、一番と二番でメロディーを変えている。

日本語に即した音列配置など、今日のポピュラー音楽では当然だが、それを戦前からクラシックで実践していたことが、今日に至るまでの山田耕作のポピュラリティーの所以なのだろう。
彼の音楽的業績の偉大さを再認識した。

音楽は全体に、決してドイツ一辺倒ではなく、ドビッシーなどフランス近代音楽の響きも感じさせるなど、戦前の日本の西洋音楽吸収の頂点の一つだと思われた。

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