昭和29年の溝口健二監督作品、多分5回くらい見ているが、久しぶりに見て、そのすごさに参る。
何がすごいかと言えば、主人公の茂兵衛・長谷川一夫とおさんの香川京子、そして茂兵衛に横恋慕していて、悲劇を作り出す一因となる女中お玉の南田洋子、さらに茂兵衛の父の菅井一郎以外の、主な人物すべてが利己的で、自分のことのみ考えて行動する、その現実把握の過酷さである。
言わば、茂兵衛とおさんのみが正直で、自分の欲望に忠実な人間が滅んでいくという、人間を抑圧する封建社会の残酷さを描いている。
多分、そうした現実の厳しさは、監督の溝口健二が若い頃過ごした明治末期、東京の下層社会の酷薄さであろう。
映画が始まってわずか30分で、大経師(進藤英太郎)という宮中お出入りの暦作成を仰せつかっている大富豪の家が崩壊する悲劇に突入して行く。
依田義賢の脚本のすごさだが、勿論原作の近松門佐衛門の悲劇の仕組みの巧みさには驚嘆するしかない。
主人の大経師以春の進藤英太郎の色好みで、吝嗇な人間の愚かさ。
悲劇の基は、以春が30歳年下の香川京子を金で後妻に迎えたことなのだが、そこには没落しつつある岐阜屋と大富豪の大経師との関係がある。
岐阜屋の長男田中春夫の無能、無責任ぶり。大経師のライバルの石黒達也の悪辣さ。彼に唆されて店の内情を教え、自らも最後は追放になってしまう番頭小沢栄太郎の小ざかしさ。
すべてが、悲劇へと向かって一気に走って行く。
その中で、逆に茂兵衛への愛に突き進んで行くおさんの香川京子は実に美しい。
これは、日本映画史上最高の恋愛映画であり、セックス映画でもある。
1970年代から約20年間、日活は膨大なロマン・ポルノ作品を作ったが、これを越えるセックス映画はない。
実は、この映画を最初に見たのは、小学校2年くらいで、それも大田区民会館での「公共上映会」であった。
と、分かったのは、それから約20年後、今はない銀座並木座で、この作品を見ていた時だった。
最後の、磔になる二人が裸馬に乗せられて大経師の前を通る時、「区民会館で見た映画は、これだったのだ!」と思い出した。
記憶では、ただ暗いつまらない映画としかなかったのだが、最後のシーンで初めて分かったのだ。
そのくらい強烈な印象のシーンだったのだろう。
この昭和29年に溝口は、なんとこの他『山椒太夫』『噂の女』と3本の名作を作っている。監督溝口健二、撮影宮川一夫、音楽早坂文雄、美術水谷浩だが、それぞれの下には田中徳三(助監督)、本多省三(撮影助手)、内藤昭(美術助手)と、後に大映京都を支えるスタッフが付いている。
まさに日本映画黄金時代のスタッフ、キャストによる傑作である。
このときの制作については、サード助監督だった宮島八蔵さんの「宮島八蔵の日本映画四方山話」 http://tsune.air_nifty.com/photos/uncategorized/2008/06/08/tikamatu.jpg に書かれているので、是非お読み下さい。溝口健二が、新藤兼人が言うような「狂人」ではなく、人情味溢れた方であったことがよく分かるサイトです。
コメント
いつも謎に思っていたことなんです。
まさに、これ!>「この昭和29年に溝口は、なんとこの他『山椒太夫』『噂の女』と3本の名作を作っている」
長年、「何故だろう?」と思っていたことでした。
リンクありがとうございます。読んでみます。
あ、申し遅れました。
ワタクシ、以前、ミクシで足跡を辿ってコチラのブログを見つけて以来、毎日読みに来ております。
決して怪しいモノではございません(^^;
以後、お見知りおきのほどを宜しゅうお願い申し上げますm(_ _)m
どうぞ何でも書き込んでください
昭和29年は、日活も始まり、まだ左翼独立プロもありで、日本映画が一番活気があったときだったと思います。
因みに、29年度の「キネマ旬報」ベストテンは、
1 「24の瞳」監督木下恵介
2 「女の園」 同
3 「七人の侍」 黒澤 明
4 「黒い潮」 山村 聡
5 「近松物語」 溝口健二
6 「山の音」 成瀬巳喜男
7 「晩菊」 同
8 「勲章」 渋谷 実
9 「山椒太夫」 溝口健二
10 「大阪の宿」 五所平之助
と誠にすごい。
翌年には、成瀬の『浮雲』と豊田四郎の『夫婦善哉』が出るのだから、この時期は本当に日本映画の黄金時代だったと思う。