金正雲は、なぜスイスに留学したのか


北朝鮮の金正日主席の後継者とされる三男金正雲氏が、スイスに留学していたことが報じられている。
だが、彼がスイスに留学していたというのは、不思議な気がする。
なぜなら、1960年代からソ連をはじめとする旧共産圏諸国は、世界中から「革命的同士」の師弟等を無償で留学させていたからである。
若くして亡くなられた米原万理が、チェコに留学していたのは有名だが、私もルーマニアの大学に留学していた女性に会ったことがある。

1990年、神奈川県が国際交流事業を突然大々的にやることになった。
県下の市である横浜市も協力し、友好都市であるルーマニアのコンスタンツア市から舞踏団を招いた。
そのとき、通訳してくれた方が、大学時代ルーマニアの大学に留学された女性だった。
彼女の父は、日通労組の幹部で、その縁で無償で大学に行けると言うので、ルーマニアの首都ブカレストの大学に留学した。
だが、ルーマニアの生活は、1970年代当時も大変悲惨なものだったそうだ。
何しろ、夜になるとしばしば停電があり、ろくに勉強もできなかった。
ルーマニアは、当時独裁者チャウシェスクの政策で強国を目指し、「生めよ増やせよ」で、人口増加政策を執っていた。それが、その後のエイズ問題になっているのだが。

さて、なぜ金正雲は、ソ連や他の東欧諸国ではなくて、スイスに留学していたのだろうか。
理由は、分からないが、多分1970年代から北朝鮮は、「自主」チュチュ思想で、他の共産国とは一線を画した政策だったので、旧共産圏は嫌だったのだろうか。
旧共産圏諸国に行けば、北朝鮮など、問題にされない小国なので、金正雲君のプライドを傷つけるだろうと思ったのだろうか。
だとすれば、やはり共産圏に留学した方が良かったと思う。
そうなれば、「わが国は問題にならない小国なのか」と気づいたのだろうと思うからだ。
さて、今後国際政治の場に出たとき、彼は留学体験をどのように生かすのだろうか。

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