豊田四郎監督の傑作喜劇に『如何なる星の下に』がある。
戦前の高見順の浅草が舞台の小説を、1962年の佃島に変えたもので、とても面白い作品である。
まだ、佃大橋がなく、渡し船がある。対岸には、聖路加病院も見える。
主演は、佃島でオデン屋をやっている山本富士子とタウン誌編集長の池部良。
森繁は山本の元夫で、洋服屋だが、実は詐欺師の中年男を演じている。
物語は、池部と山本の実らぬ恋だが、池部は、山本の末の妹大空真弓にも秘かに惚れている、優柔不断で生活力のないインテリを好演。
植木等が、次女で売れない歌手池内淳子の夫で、彼の裏切りで、池内は自殺するのが、悲劇の始り。
池部は妻淡路恵子を植木等に取られてしまうが、なんと植木は最後に大空を騙し、香港に売り飛ばしてしまう。
言わば、高度成長に入っていく時代で、そこに乗っていく調子のいい植木、若い大空らと、そこに乗れない池部、山本、森繁らが対比されている。
映画の中盤、森繁は突然現れ、山本と縁りを戻し、金を騙し取ってしまうが、森繁は負債整理に失敗して警察へ自首することになる。
この新川あたりの安ホテルでの森繁と山本のシーンが最高である。
森繁は、あらゆる手で攻めの演技で山本を引っ張って行く。
「実に上手いなあ」と思わざるをえない。
そして、森繁の自伝を読むと、彼の演技の引き出しの多さは、その演劇的体験にあることが分かった。
大学時代は、築地小劇場の新劇。
大学をやめて東宝に入ってからは、日劇の進行係から古川ロッパ劇団や東宝新劇団の役者、と言っても馬の足。
当時の東宝には、歌舞伎から、もしほ(先代中村勘三郎)、高麗臓(先代市川団十郎)らがいて、それも横目で見ていたが、結局日本国内では売り出せず、新天地の満州に渡る。
新京の放送局では、アヌウンサー・ディレクターで大活躍するが、敗戦ですべてを失う。
戦後、田舎で闇屋をやっていたとき、菊田一夫から呼び出されて東宝演劇部、そして映画1947年の『女優』に出るが、ストライキで中断。
その間は、子役を引き連れて『鐘の鳴る丘』のドサ周り。
このときの演出は、井上正夫だった。
井上はとても上手い役者、演出家だったそうで、森繁が彼から得たものは多かったのだと思う。
さらに映画に復帰するまでは、新宿のムーラン・ルージュ。
そして、1950年にやっと新東宝で主演映画『腰抜け二刀流』 このとき、37歳。
いずれにせよ、日本の近代劇のすべてを貪欲に吸収したのが、森繁だった。
立川談志も言っていることだが、誰がなんと言っても、近代日本では、森繁が最高の役者である。