『シーンズ・フロム・ザ・ビッグピクチュアー』

演劇集団円の公演で、作はオーウェン・マカファーティー、演出は平光琢也、最近見た円の芝居では一番良かった。
北アイルランドのベルファストの一日。
若者から老人まで、様々な連中が出てくる。
そこは、まるで今の日本のように、仕事のない若者、倒産しそうな会社、中年で死んだ労働者とその同僚、息子の死を諦められない父親等が点描される。
その意味では、アイルランドの小説家ジョイスの『ユリシーズ』のようなものである。
『ユリシーズ』は、ダブリンだが、ここでは北アイルランドのベルファスト。
北アイルランドは、アイルランドと言うか、イギリスと言うべきか。勿論、人種、民族、文化的にはアイルランドだが、自治はあるものの、政治的には未だにイギリスの支配下である。
そうした複雑さが、この戯曲にも反映している。

この劇が良かったことに、若い役者たちが多数出ていることがあり、皆正統的で上手い。
特に兄弟をやった若い二人などは、共に江口洋介風で、テレビでも人気になるのではないか。
ただ、平光の演出は、二人だけの対話では漫才のように生き生きしているが、多人数のシーンになると意味不明になる。
これは、彼がそのシーンの意味、構図をよく把握していない性である。

一人暮らしの老人で有川博、さらに高林由紀子が、零細な商店を営んでいる老妻を演じていた。
彼女が、林千鶴の名で大映の『座頭市』に出ていたことなど、もう誰も知らないだろう。
私は、勝新太郎の『酔いどれ博士』で、彼女を見て「原節子風の美人だな」と思った。
その直後、劇団の先輩が、当時の劇団雲に研究生となり、彼からも「ずごい美人だよ」と聞いて、やはりそうかと思った。

兄弟が、死んだ父親の家庭菜園を掘ると、そこには銃器が埋められている。
勿論、北アイルランドの紛争を暗示している。
この辺は、日本の我々にはよく分からないところなので、説明が必要である。
蜷川幸雄のように、何かアナロジーの表現のようなもの。

この劇は、結局若者の麻薬使用など、北アイルランド社会の荒廃は、長年の紛争が原因と言っているのだろうか。
北アイルランドと日本の現実も類似したことが多いが、比較にならないほど麻薬が日本では蔓延していないのは、誠に喜ばしいことである。
紀伊国屋ホール

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