『流旅の人々』

1941年3月、東宝の傍系的会社の一つだった南旺映画が作った作品。
映画史によれば、南旺映画と言うのは、映画法の主唱者だった岩瀬議員が森財閥の金で作った会社で、国策方針の下、旧左翼映画演劇人が集まって真面目な作品を作るという極めて矛盾を抱えた会社だった。
だが、経営は振るわず、映画法による統制で東宝に合併される。

原作葉山嘉樹、脚本山形雄策、監督高木孝一。
高木は溝口健二の助監督をしていた人間で、この時期に数本の映画を作っている。特にすごくはないが、比較的抒情的な作風である。
主演は本條克二と言うのはこの時代の芸名で、水戸黄門様の東野英治郎である。
その他、薄田研二、石黒達也、殿山泰治など、元新劇人と第一協団にいた河津清三郎。
女優はなんと本間文子さんのほか、草島競子と言う、丹阿弥谷津子に似たなかなかの美人で、高木の奥さんだった人。

物語は、発電所の随道工事に関る組の話で、東野は帳場、マネージャー役をやっていて、粗暴でケチな古株と対立し、人夫の立場に立ち人間的な扱いを主張して、工事を無事完成させる。
石黒達也(この人は、戦後は大映で悪役をやっていたが、本当に憎々しくて私は大好き)は、技術者で、今度は次の鉄道工事に行くと、日本全土、さらに大陸へも行くぞ、と時局柄の飛躍精神を現わしている。
この時代になると、元プロレタリア作家の葉山も転向して、皇国文学になっており、その臭いは、映画にも出ている。
山形雄策も、元は共産青年同盟の幹部だったが、この時期は戦意高揚作品のシナリオを書いている。
戦後、彼は再転向して共産党の「御用作家」になる。黒澤明は、大嫌いだったようだ。
録音がひどくて、台詞の半分くらいは、よく分からなかった。
東宝の元である「PCLは、録音が良いのに」と思うと、これは富士スタジオでの録音だった。
日本映画専門チャンネル

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