堂本正樹は、能の演出家、作者で、三島由紀夫とは親しいことは知っていた。
だが、八つ違いの兄(三島)として、兄弟の契りも結んだ深い仲だったとは、この本で初めて知った。
二人は、共に歌舞伎も好きで、当時の中村芝翫(後の六代目歌右衛門)を贔屓にしていたことから付き合うことになる。勿論、有名な銀座のブランズウイック等で。
1970年11月25日の三島の死まで、主に能と演劇で二人のつながりは続く。
中にとても面白い見方が披瀝されていて、三島の戯曲を演出し、共に文学座から出て劇団雲の芥川比呂志と三島は、劇作家矢代静一の本『旗手たちの青春』にあるように、実は肌合いが合わず、共に腹の探り合いをするような関係だったこと。
三島の傑作『愛の渇き』の主人公悦子について、
堂本が「あんな女がいるかしらね」と聞いたところ、
「当たり前だろう、悦子は男だよ」と三島は答えたこと。
あの悦子が男だとすると、年老いた義父に犯される主人公と義父は、どういう関係なのか、性的倒錯のない私には理解できない。
実際に、当時三島は様々な同性愛のクラブや秘密組織に入っていたことも書かれている。
また、一番興味深いのは、この堂本と三島の関係が、江戸初期の奇書『聚楽物語』から、三島の匿名小説『愛の処刑』、脚本『地獄変』、さらに三島の原作、堂本の演出の映画『憂国』と一貫して、自死、さらに切腹がテーマになっていることである。
堂本と三島は、知り合った当初から、「切腹ごっこ」をして、性的に興奮していたと言うのだから、彼の最後は全く非政治的なものだったといえるだろう。
実は、あの夜、私は劇研の後輩がやっている三好十郎作の『廃墟』を見ていた。
そのとき、主人公の台詞に、東京裁判のことがあり。
「今、市谷の・・」と言ったところで絶句してしまった。
彼も、すでに三島事件のことを知っていたので、それと重なって絶句となったのだろう。
その日の芝居の出来は、異常な緊張の中で大変良かったたことを憶えている。
文藝春秋新書