先日、『白夜の妖女』を見た滝沢英輔は、撮影をシナリオの順番どおりに撮る、順撮り監督で有名だった。
「若草山の滝沢」という逸話すらあり、奈良の若草山の上と下でカットが繋がる場面があったとき、順番に山に上がって撮り、次は降りて撮る、と言ったことをやったそうである。
勿論、サイレント時代のことで、機材も小さかったので、カメラを担いで昇り降り出来たのだろう。
これに対して、あるシーンで、同じ角度の撮影をカット・ナンバーを飛ばしてまとめて撮り、後でつなげるのを「中抜き」と言い、マキノ雅弘や森一生らが多用したテクニックである。映画撮影で、一番時間がかかるのは照明で、そのため同じ照明で済むカットを同時に撮れば能率的なのである。森一生は、シーンを越えても、同じ人物のものは、中抜きして撮ったので、役者は何をやっているのか分からなかったそうだ。
滝沢英輔は、シナリオの順番通りに撮らないと、フィルムが繋がらなくなってしまうので、順撮りしたのだそうだ。
1954年の日活の制作再開第一作、滝沢監督の『国定忠治』の現場を見た松竹から来た西河克己は、この順撮りに驚いてしまった。
松竹大船では、極端な中抜きはやらなかったが、順撮りはなかったからだ。
順撮りは松竹では、プロの監督としてはみっともないやり方とみなされていたようだ。
だが、西河に言わせれば、順撮りは、効率的ではないが、最終的な出来上がりに不思議な力があるものだそうである。
確かに、順に撮影して行った方が、役者の感情の起伏は、きちんと表現されるに違いない。
マキノや森らのような娯楽時代劇では、そうした起伏は不要な場合も多いが、文芸作品やメロドラマの場合は、順撮りの方が良いのかもしれない。『白夜の妖女』も順撮りで撮影したのだろうか。
滝沢英輔は、元は京都のマキノや日活にいて、山中貞雄らの鳴滝組の一員でもあった。
その後、東京のPCLに来て、『戦国群盗伝』など東宝の時代劇の基礎を作る。
この作品は、黒澤明が助監督に付いていて、戦後の『七人の侍』や『蜘蛛巣城』等に大きく影響している。
日活が、制作再開してからは、日活に戻り、主に文芸作品や時代劇を作った。
『絶唱』『しろばんば』など真面目で抒情的な作品が多く、デキに当たり外れの少ない監督だったと思う。