『二百三高地』

1980年に公開された東映映画、製作時に「戦争賛美になるのでは」と批判があったが、私は1980年に公開時にも見てそうは思わなかったが、今見ると完全な反戦映画である。
それは、実際に海軍にいた脚本の笠原和夫、監督の舛田利雄も軍隊には行っていないが、二人とも戦争の実像を知っているからである。
安倍内閣の松島、山谷、有村らの下品な「軍国少女隊」とはレベルが違う。

言うまでもなく、100年前に起きた日露戦争で、仲代達矢の乃木将軍が主人公。
だが、ロシア語を勉強していた小学校の教師のあおい輝彦とその部下の、豆腐屋の新沼健治、太鼓持ち湯原昌幸、ヤクザの佐藤允、子供を捨てざるを得なかった下層民長谷川照男らの兵隊の群像劇にしているのは、さすがに笠原和夫。
ロシア語のできる「あおい」が、ロシア人捕虜の通訳をやらされて、捕虜の日本を侮辱する言動から彼を射殺しようとし、周囲の者にテントの外に引きずり出される。乃木大将から、捕虜の虐待の禁止を厳命されていたからである。
と馬に乗った戦場視察の乃木が通りかかり、乃木に向かってあおい言う。
「戦場に国家も軍規も命令もない! あるのは生きるか死ぬかだけだ!」
そして、乃木が二百三高地を攻略できずに内外の批判が高まった時、203高地の第3次攻撃を丹波哲郎の児玉源太郎が前線に来て、戦術指導してやっと高地を落とす。
乃木は、明治天皇の三船敏郎に報告するが、思わず泣き崩れてしまう。
彼は、戦前は軍神で、映画も多数作られているが、戦後はきわめて少なく、さらに司馬遼太郎を典型に「愚将」との評価が多い。
ここでは冷静に評価していて、戦術家としては無能だったが、人間的には評価できるとしているようだ。
次男で、死んでしまう中嶋敏行が若くて凛々しい。
その他、参謀の稲葉義男、森繁久彌、天知茂、桑山正一など「この時代はまだ良い役者がいたな」とつくづく思う。
ラストで出てくる松尾嘉代の昭憲皇后が笑える。

だが、この映画で描いていないことが二つある。
一つは戦後の「講話反対の日比谷暴動」であり、日露戦争での最大の死因は、戦闘ではなく、脚気だったことである。
当時、脚気は原因が不明で、脚気細菌説の軍医総監の森鴎外は、陸軍の食事を改善せず、白米だけを食べさせたので、多くの兵士が脚気で死んでしまったのである。それは陸軍は銀シャリを食わせてくれるので、皆喜んで陸軍に入隊したのである。
海軍は食事説の(それはビタミンB1欠乏だったのだが)高木兼覚が食事を改良していたので、脚気は起きなかったのである。
川崎市民ミュージアム

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