『島の娘』

昭和初期のサイレントからトーキーに移行するときに、サウンド版という映画があった。
これは、サイレントの映像に音楽と効果音をつけたもので、台詞は字幕で処理するものだった。
なぜこのようなものが作られたのか、不思議だが、要はトーキーに適応する演技術がなかったからだと思う。

これは、普通の人でもやってみれば分かるが、動作と同時に自然に台詞を言うのは結構難しいことであり、きちんと台詞を録音できるように発声し、決められたアクションをこなすのは大変難しいことなのである。
その意味で、トーキー時代になり、新劇役者が多く起用されるようになったのも、彼らは芝居で動きつつきちんと台詞を言えたのが、大きな理由だろう。

サウンド版の中に、小唄映画というジャンルがあり、その代表作が小唄勝太郎の大ヒット曲を映画化した『島の娘』なのである。
脚本柳井隆雄、監督は野村芳亭、言うまでもなく野村芳太郎監督の父親である。
見ての感想は、「この程度のものだったのか」と言うものである。
タイトルとエンドに勝太郎の『島の娘』が流れるが、レコードとは別に吹き込まれたものらしい。
主演は坪内美子と若水絹子の女性悲劇であり、最後二人が泣き濡れるというところに意味がある。
坪内は言う。
「こんなに悲しい私たちを、死んだら神様がきっと慰めてくれる」
竹内良一や江川宇礼雄と女性たちの悲恋がストーリーなのだが、坪内と若水、竹内と江川が良く似ていて、台詞も説明もないので、筋が大変分かりにくいのである。
恐らく、実際の当時の上映では、弁士が一部説明を加えたのではないかと思う。
要は、家が傾き身売りをせざるを得なくなった若い女と身売りをして酌婦になった女同士が、自分たちの境遇を嘆きあうと言うものなのである。
それの説明として勝太郎の小唄が重ねられるもので、気分はとても良く分かる作りとなっている。

この辺が当時の娯楽映画の普通のレベルとするならば、小津安二郎や五所平之助、さらに成瀬巳喜男らの作品は、やはり大変高い水準にあったことがよく分かる。
フィルム・センター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. なご壱 より:

    Unknown
    私も13日にフィルムセンターで観ました。夜の部としては、比較的客の入りがよくおどろきました。
    確かに指田さんご指摘のように、特に坪内と若水はよく似ていてストーリーがわかりにくかったです。最後の二人が海辺で語り合って洋酒を海に流し、勝太郎の歌が流れるところだけが印象に残っています。
    竹内は、後に岡田嘉子とソ連へ逃避行したわけですが、映画の竹内を見ると、情熱的な岡田に後押しされてソ連へ言ったように思えますが、いかがでしょうか?

  2. そうですね
    竹内は、優柔不断なインテリに見えます。
    岡田嘉子は、相当に激しい女性だったようですから、竹内は岡田に引っ張られたのかもしれませんね。

  3. joshua より:

    岡田とソ連に逃げたのは…
    竹内良一ではなく、その後に駆け落ちした新協劇団の杉本良吉では?

  4. なご壱 より:

    Unknown
    ご指摘ありがとうございます。ご指摘のようにソ連へ一緒に逃げたのは、杉本良吉でした。竹内は、その前に共演した岡田嘉子と駆け落ちした後、岡田と別れています。