先日の「とうようズ・ディ」で非常に印象的だったのは、小倉エージさんの言葉だった。
1991年にパシフィコ横浜のオープニング・イベントとして、ウォーマッド横浜91が行われた。
この時のメイン・スターは、都はるみになり、これについても中村とうようさんの強力な意見が通ったものだった。
都はるみは、最終日、日曜日の夜だったが、前日の土曜日の夜のトリのバンドはセネガルのユッスー・ンドールだった。
ユッスーの来日では、ジャパン・エイド、アムネスティーインターナショナル、1990年の単独公演、91年4月の坂本龍一とのジョイントに次ぐ5回目だった。
5回目で、日本の観客にも十分に慣れて来たのか、みなとみらい21地区の臨港パークの大野外ステージでの公演は非常に素晴らしかった。
このとき、小倉エージさんは、中村とうようさんと一緒に見ていて
「ワールド・ミュージックって頽廃ですね」とエージさんが言うと、とうようさんはギクリとして、一瞬何も言わなかったそうだ。
ギクリとして反論しないというのは、図星の指摘をされた時のとうようさんの反応だそうだ。
小倉エージさんって鋭いね、ただのネズミじゃない。
確かに、ワールド・ミュージックは、地球上の都市の街角に潜む頽廃した連中が作り出し、そこに蠢く大衆に支持されてきた音楽である。
タンゴ、ジャズ、シャンソン、ブルース、ロック、レゲエ、そしてアフリカ、アジア、ラテンアメリカで生まれた様々なポピュラー音楽。
あえて言うなら、リオデジャネイロの上流階級のお坊ちゃんが作り出したボサ・ノバだけは、比較的健康的で健全のように私には思える。
ブラジルのカルトーラやマイーザに見られるような頽廃した音楽の美しさ。
それは、日本で言えば、江戸時代、文化文政時代の鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の、最下層の悪人たちの輝きのような気がするのは私だけだろうか。