先月に見たのだが、一応良い芝居だったので、思い出しつつ書いておく。
樋口一葉の晩年の19歳から死後2年までを描くもので、6人の登場人物が全員女性である。
吉原の女郎で首を吊って死んだ幽霊の花蛍の若村麻由美がウロウロするあたりから、これは見たことがあると思い出した。
文学座の達者な女優、新橋耐子の花蛍役で、家に戻って調べると、2003年の8月に見ていた。
今回の一葉役は、小泉今日子だが、その時は有森也実で、意外にやるなと思った。
だが、この一葉役は、あまりし所のある役ではなく、普通に演じていれば良いので、小泉今日子も無難に演じていた。
前にも書いたことがあるが、小泉今日子は好きになれない女優である。理由は、表情が死んでいるからで、どのような感情でも顔つきは変化しない。
モデル出身の女優に多い傾向だが、彼女にもそうしたところがあるのだろうか。
筋は、ほとんど伝記的事実を追ったもので、井上ひさしらしい機知があるのは、登場人物がそれぞれに死んで幽霊になった後、その死についての恨みを述べるところだ。
この劇の背景は、盂蘭盆会で、その民俗的習俗も今日見るとなかなか面白い。
死んだ樋口一葉は、若き日に歌塾「萩の舎」で受けた貧富の差からくるいじめを言う。
すると歌塾の中島歌子は、昭憲皇太后のご機嫌を取り繕うためのだと反論する。
すると皇太后は、明治天皇の遅れた国である日本の、西欧諸国への追いつけ追い越せの苦闘を思もんばかってのことだと言う。
要は、遅れて帝国主義列強の仲間入りをしようとした明治の大日本帝国と、その裏の天皇制への井上ひさしの批判になる。
この戯曲は、井上が、自分の劇団である「こまつ座」を作っての最初の劇で、その意味では、彼の晩年の戯曲の一貫したテーマである、近代の日本と天皇制への批判の劇の始まりでもある。
その意味では、その批判意識は、晩年の作品とは異なり、それほど強く表面には出てきていない。
小泉今日子、若村麻由美以外の女優では、一葉の母親多喜を演じた三田和代が、何度も演じておりさすがだった。
伝記本によれば、樋口一葉の一家は、裕福ではなく、むしろ貧困に近いものだったが、一葉の夏子、妹邦子、そして母多喜の一家はいつも明るく楽しさに溢れたものだったという。
明治という時代には珍しい、女性による共同体の幸福なユートピアのような家だったという意味では、それは極めて現在的だったと言えるだろう。
紀伊国屋サザン・シアター