『お嬢さん』は、吉屋信子原作で、監督は山本薩夫、主人公はブルジョワ家庭の娘・霧立のぼる。
平凡な見合い結婚を嫌って、伯父嵯峨善兵衛の世話で九州の離島の女学校(実科といっている)の英語の教師になる。
この実科女学校と言うのは、エリート校の女学校が作られた後に、普通の女性を対象に設置されたもの。
横浜市の市立高校の中には、戦前は実科女学校だったのが、いくつかある。
島の大人は、彼女の振舞いに冷たいが、生徒たちには大人気になる。
実際に霧立の英語の発音は、かなりきちんとしたもので、ピアノを弾くシーン、生徒に『紺碧』を教えるなどのシーンもあり、なるほどと納得させる。
だが、彼女を反感を持ってじっと見ている高峰秀子がいて、さすがに不気味。
最後、霧立の就職は、有力者の横槍で、高峰の父親を離職させた結果であることがわかる。
高峰は言う、「なんであなたのような働かなくてよい人が働いて、働かないと生きていけない私たちが職を失うの」
霧立は「私は世の中を知らない、お譲さんだった」と島を去る。
もちろん、ここで山本は、ブルジョワの子弟は働かなくて良い、と言っているわけではない。むしろ逆だろう。
国語と歴史の教師で、同じ下宿に住んでいる女性(宮野照子か)は、妊娠したため、同じく教師を辞めるが、この人たちは、左翼運動の人間であることを暗
示しているように思えた。
山本薩夫は、戦後の独立プロ作品のような、重苦しい重厚さはなく、非常に軽快で、テンポも早い。
霧立の「世の中を知りたい」というブルジョワの子弟でも、良心的に生きたいというのは、左翼作家山本の願いであるだろう。
これはすぐに吉村公三郎の映画『暖流』での水戸光子と高峰三枝子のどちらを取るのか、という問題になると思う。
霧立のぼるは、当時最も外人的なルックスの女優で、生徒から「フランス人形みたい」と言われている。
この作品の直後に山中貞雄監督の『人情紙風船』に主演するが、そのお譲さんぶりに、山中は不満だったそうだが、それは仕方あるまい。
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