一言でいえば、新派のような芝居で、こういう劇を民芸がするのにも驚くが、そういう時代になったのだろうか。
映画になり、日本でも劇団昴での公演もあったようだが、わたしは見ていない。
アメリカ東岸の別荘地での出来事、姉で目が不自由になって心を閉ざしている皮肉屋のリービーの奈良岡朋子と健気で陽気な妹サラの日色ともえの姉妹。
さらに地元の主婦(船越博子)や電気・水道工事人(稲垣史夫)などとの日常的な会話とほとんど起伏の少ないドラマで、ある意味で演じることが非常に難しいドラマである。
そこにロシアからの亡命貴族で、つい最近に恋人が死んだラマノフの篠田三郎が釣った魚を下げてやってくる。
彼は革命後は、フランス等で生きて来た後、アメリカ各地を友人を頼って生きてきたという。
かれら3人は、夕食後に満月をみるが、翌日には3人ともわかれてゆく運命にある。
「さまよって行くしかないのです」と篠田は言う。
ここには人生の本質が示されていて、心にしみる。
1980年代に書かれて映画化されたものだが、1954年の米国にすでに高齢者問題があったことに驚く。
役者の品が良く、とくに奈良岡朋子の台詞の美しさにはとても感動した。
まるで詩の朗読のようなのだ。
こうした体験は、昔唐十郎作の劇での石橋蓮司の演技を思い出した。
三越劇場は面白い。
開演前に必ず「帽子はお取りください」とのアナウンスがある。
昔の劇場では帽子を被ってみる者はいなくて、それが観劇の当然の礼儀だったのであるが、老舗のデパートらしい作法で、すがすがしい気分になる。