上映時間3時間というので、敬遠してきたが、長さの割には私は退屈しなかった。前の方で寝ている方もおられたが。
話は、介護ヘルパーとして働き始めた主人公の安藤サクラが、介護している老人の娘木内みどりの願いを聞き、痴呆症の織本順吉と同衾したところ、織本が体を重ねて来てしまう。
サクラが、押し返すと、その反動で織本の体が電気のコンセントを潰してしまって発火して火事になり、家は燃え、織本も死んでしまう。
犯罪は免れるが、無職になったサクラは、ヘルパーの経験を生かして様々な高齢者家族の家に入って行く、押しかけヘルパーとして。
全体は、日本を覆う格差社会の見取り図であり、安倍晋三や小泉純一郎、竹中平蔵に見せたい映画である。
一人暮らしの貧乏人のくせにいすゞの117クペーを持っていて、本人が同意して施設に入所する際に、117クーペを呉れる坂田利夫の話が一番面白い。
自分が未だに現役の先生だと思いこんでいる津川雅彦と完全に痴呆症になり歌曲を歌うことだけになっている草笛光子の夫婦もよくできているが、役者が上手すぎて少々嘘くさく見えるところがある。
最後に出てくる、最初の織本順吉の息子で造船所の工員の柄本明と引きこもりで口のきけない息子の件になると、これはほとんど狂気の世界である。
最後、安藤サクラは、できの悪い息子と結婚することを暗示して終わるが、それが幸福である保証はどこにもない。
だが、考えてみれば、『晩春』や『秋刀魚の味』で、小津安二郎が、主人公で娘を嫁に出した父親の孤独、淋しさを表現した頃はまだよかった。
今、もし笠智衆が生きていれば痴呆化し、いない妻を求めて妄想に耽るしかないだろう。
人間は、いろいろあるだろうが、結局は結婚して子を作り育て、そして死んでゆくしかないのだろうか。
文化人人類学は、人間は結婚によってのみ社会を作ると教えているそうだ。
それはまさに吉本隆明がかつて言った「個として死に、類として生きる」ということに他ならないのだろう。
黄金町シネマベティ