「安心してください、穿いてますよ」が流行語大賞候補にまでなった芸無し芸人の時代だが、昔本当に裸になってしまう課長がいた。
最初に入った局の庶務課長で、宴会の佳境になると、裸になって「鴨緑江節」を歌うのである。
ただ、芸無し芸人と違うのは、パンツは穿いていなくて、両足の股の間にチンポを挟んで見えなくしてしまうのである。
勿論、女性職員も6人いたが、皆笑い転げていた。
「ひどいところに来たものだな」と初心な私は思ったものである。
だが、この6人の女性の内、3人が未亡人で、そのうち2人は、明らかに戦争未亡人で、残りの一人の旦那は、酔って駅から落ちて死んだのだった。
つまり、『東京物語』の原節子さんだったわけだ。
映画の中で、原節子が勤めていたのは、小企業でも商事会社らしいので、このような「芸」を披露する課長はいなかったと思うし、当時は誰もセク・ハラだとも思わなかった。
当の課長もとっくの昔に亡くなられているが、この人が二言目にいうことは、
「俺なんか、兄貴のお古だ」で、彼は戦争で亡くなった実兄の奥さんと結婚したのだ。
別に不幸にも見えなかったので、あるいは原節子のような美人だったのかもしれない。彼も、早稲田の商学部を出ていて、そう無知な人間ではなかったのだが、当時の宴会というものは、そうしたものだった。
1970年代には、巷に戦争で夫を亡くした女性は、いくらでもいたのである。
コメント
区役所にもいたそうだ
知り合いによれば、区役所にも多くの戦争未亡人がいたそうです。
特に、戦後地方自治制度の改革で、地方税が創設されたので、多くの人が新たに雇用され、地域の人間が沢山入り、その中には戦争未亡人もいたのだろうと思う。
(兄貴の)お古ですか。
私が勤めていた職場に、高齢の上司がおられ
かなり、高圧的で苦手だったのですが
後輩に当たる人々が
前はあんな人ではなかったのだけど
お兄さんが戦死して兄嫁と結婚させられてからああなったんだよ
言い交わした人がいたそうだから
気の毒は、気の毒なんだ。
と、言ってましたが
その話を聞いてから、苦手ではなくなりました。
実家の駅の近所では、
狭い間口で鶏肉専門のお店を営業していた
戦争未亡人がおられ
三人の息子さん達が
キビキビと手伝い、その姿が
頼もしく感じたものでした。
三人とも(浜田光男に似た)大きな目だけ
を覚えてますが
全員、学業も優秀でした。
親が一生懸命なら、子供さん達も、、
と何かを教えて頂いたご家族でした。