東映大泉特集のラピュタに行き、三国連太郎主演の『無法松の一生』を見る。
これで「無法松の一生』は、阪妻から三船敏郎、そして勝新太郎と全部見たことになる。
これ以外は、すべて伊丹万作脚本を基にしているが、これは伊藤大輔脚本である。
原作と本来どう違うのか、岩下俊作の戯曲を読んでいないのでわからないが、伊丹脚本が詳細には描いていないところをよく補って描いた脚本といえるだろう。
また、伊丹版が、無法松の一生で、無法松のことしかほとんど描いていないのに対して、亡き吉岡大尉(中山昭二)の妻(淡島千景)の心や息子の立場なども丁寧に書かれている。
特に、熊本の旧制五校生になり帰郷した息子が、松五郎と母の町の噂を聞き、二人に向かって松五郎は
「今後吉岡家には出入りしないでくれ」というところには、戦前の日本社会の階級性がよく描かれている。
この話は、時代がよくわからないのだが、後半はたぶん大正時代だと思う。
俗に大正デモクラシーといわれるが、それは知的階級のことで、一般社会では、高級軍人は地位の高い人間であり、車曳きは、「車夫馬丁」として、最下層の連中だった。
また、松五郎が住む旅館・宇和島屋には、多くの行商人がいて、その姿も風俗的に面白い。
ここでも祇園太鼓の乱れ撃ちが劇的盛り上がりになっているが、これは実際とは全く異なるもので、戦中の阪妻主演の時、監督の稲垣浩が、音楽担当者などと考えて工夫して創作したものである。
私は、30年前に北九州市に出張し、保存会の方に成長祇園太鼓を見せていただいたことがあるが、要は蛙撃ちなのである。
ロケーションの一部は、川越市で撮ったらしく、有名な時計台が出てくる。
監督の村山新治は、増村保造や岡本喜八と同列の戦中派の新鋭監督として期待された時期もあったが、それほどの決定打は残さず、最後はヤクザ映画で終わったようだ。
音楽が三木稔で、邦楽がよく取り入れられていた。