『嵐来たり去る』

前から見たいと思っていたが、なかなか機会のなかった石原裕次郎映画。監督は舛田俊雄、脚本は池上金男と星川清司。

1967年なので、東映のヤクザ映画の全盛の影響を受け、裕次郎も元やくざの板前を演じる。

実は、ヤクザ映画を作ったのは東映よりも日活の方が早く、1962年で裕次郎主演の『花と龍』だが、やはりモダニズムの日活では根付かず、歌舞伎からの様式美の東映京都で花開くことになった。

タイトルで、鯉を捌く「鯉こく」の作業が描かれ、裕次郎は柳橋の料亭の板前で、女将は沢たまきである。

裕次郎と恋仲の芸者小春は浅丘ルリ子で、ルリ子の父親で裕次郎の師匠は、文学座の三津田健という渋い配役。

時は、日露戦争の時代で、成金の長男葉山良二が出征する祝いが、沢たまきの店で開かれている。父は安部徹で、陸軍への納入品で儲けている。妻は元華族の富永美佐子で、二言目には自分の出を自慢し、裕次郎のなどの人間を「下層階級の者・・・」と言い放つ。

その宴会に藤竜也が暴れこんでくる。彼は安部の次男だが、社会主義者で反戦論を唱えていて、安部を批難する。彼らの娘は井上清子で、華族の息子と結婚させようとしている。その男はロマンポルノで活躍する市村博である。また、悪いヤクザの親分は青木義郎で、賭場の壷振りは、これもポルノ時代に有名になる高橋明であり、その他榎木兵衛なども子分で出ている。

原作は富田常雄で、富田と言えば『姿三四郎』だが、彼は元は新劇の「心座」にいたことがあり、黒澤明によればドストエフスキーの心酔者であり、黒澤とは意気投合したとのことで、そうした社会的意識と反体制的心情がある。

裕次郎は、正月に根津神社で、包丁式に三津田の代わりに出て、無事式を成功させる。包丁式は、私も横浜で一度だけ見たことがあるが、鯉を包丁を使って裁くもので、その源流は京都の貴族社会のようで、私が見たのは「四条流」というものだった。

陸軍参謀の藤岡重慶が浅丘を、安部が沢を、共にものにしようと企むが、どちらも裕次郎の乱入で壊される。

裕次郎と浅丘との新居に、井上が逃げて来て、最後は藤竜也、浅丘の3人をヤクザの青木義郎の組が預かったとして、鳥越神社での出入りになる。

美術は木村威夫で、坂の多い明治の東京の町の感じがよくでいる。江戸弁監修は、後に監督になる藤浦敦で、彼の父は築地の仲買会社の社長で、落語の三遊亭の家元でもあるので、裕次郎の台詞は、本当に昔の親父の言い方である。

だが、タイトルの嵐は、どこに来て、いつ去ったのだろうか、多分原作にはあったのだろうが、映画ではわからず。

チャンネルNECO

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