『ペギー・スーの結婚』 もとねたはサルトルだろう

1985年、高校卒業25周年の同窓会にぺギー・スーは、

娘に「60年代のようだ」と笑われるが、そのドレスで会場に行く。

彼女は、夫チャーリーは、その田舎の町で自分の店の安売り商品のテレビコマーシャルで人気者だが、ペギーは離婚することを考えていたのだ。

同窓会のパーティーでは、多くの生徒たちが同級生同士で結婚していることが分かる。

つまり、アメリカの地方都市の通婚圏はきわめて狭いことが分かる。

意外にも、昭和以降の日本では、さまざまな理由から地方から男女が大都市に出てきて働き生活し、その結果結婚しているので、アメリカなどよりは多分通婚圏は広いと思う。それは都市の大学や職場での出会いからなるものだと思う。

さて、そのパーティーのキングとクィーンが選ばれ、女王にはペギー・スーが選ばれる。その壇上に上がった時、彼女は興奮のあまり気を失ってしまい、25年前の1960年の自分にタイムスリップしてしまう。

それは、1960年代のアメリカン・カルチャーの世界であり、オールディーズ文化そのものである。

だが、そこには二つ異質なものがあり、一つは数学おたくの変な男と、ヘミングウエーなどをバカにして、ケラワックなどのビートニクにいかれているマイクである。

ペギーは、数学おたくとは、自分がタイムスリップしてきたことを話すが、彼にアインシュタインの相対性理論による可能性を教えられても全く理解できない。

そこで、彼女はマイクと付き合い、夜二人は意気投合し郊外の野原で夢のような詩的な体験を共有し、セックスしまう。

彼女は、音楽好きでミュージシャンになることを夢見ていたチャーリーが好きで恋人同士だったが、セックスは結婚までしないものとしていたのだ。この辺が当時の普通のアメリカの若者の性道徳だったのだと思う。

翌日も彼女は、マイクのバイクで郊外のライブハウスに行く。そこは黒人地区らしく、出ているバンドはアフリカンアメリカンで、マイクはそうした人種問題など気にしない進歩派だったのだ。だが、彼はユタ州に行き、複数の女性と暮らしつつ、自然の農業などをするといわれ、無理だと思う。

なんとそこの舞台にチャーリーが現れ、ドゥー・ワップを歌うのには、彼女もびっくりするが、そこにわざわざ来てもらったエージェントからは、チャーリーはプロ歌手へは無理だと言われる。

最後、ペギー・スーは、祖父母の家に行くと、祖父は彼女をフリーメイソンのような会合に連れて行き、そこで彼女の姿は消え、元の1985年に戻り、チャーリーとやり直すことにする。

女子高生のペギー・スーをキャサリン・ターナーが演じるのは少々苦しいが実に楽しい。チャーリーは、ニコラス・ケージ、監督はフランシス・フォード・コッポラとは意外だった。

この映画の元ネタは、サルトルがシナリオを書いた映画『賭けはなされた』だと思う。これは死んだ男が、もう一度人生をやり直すが、元と同じになるという結構面白い映画だった。

NHKBS

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