西田佐知子が出ていた 『ジャズ娘誕生』

国立映画アーカイブ開館記念の昨日は、戦後の日活製作再開期、1957年の『ジャズ娘誕生』

コニカ開発の3原色カラー映画作品の、デジタル復元されたもので、非常に色がきれいだった。撮影の姫田真佐久の本によれば、男4人で担がないと動かせないカメラだったそうだが、結構移動やパン撮影もしている。

話は、大島の椿油を売る女性・アンコの江利チエミの一隊と石原裕次郎のジャズ楽団が伊豆で遭遇し、チエミが歌が上手いので、楽団に参加し東京の大劇場でデビューするまでのこと。

最初の「椿油の歌」は、ラテンの『ピーナッツ・ベンダー 南京豆売り』が元だろう。

江利は非常に歌が上手いが、裕次郎も結構身軽に踊っている。

監督は、サイレント時代から日活にいた春原政久で、この人は久松静児らと同様に何でも取る監督で、進行が上手い。

さて、楽団の3番目くらいの女性として西田佐知子が出ていた。今とルックスは違い、台詞もないがタイトルにも新人と出ていた。

彼女は、日本マーキュリーレコードの『伊那の恋唄』でデビューしたが美人だったので、日活の前にも松竹に出ていたそうだ。その後グラムフォンに移籍し、『アカシアの雨がやむとき』で大ヒットを出し、日活でも映画化された。

江利チエミの妹で刈谷ヒデコが出ていて、タップを上手に踊った。後には「刈谷デブ子」と悪口を言われたものだが。

本作品の前に、1935年の日活東京撮影所(現、角川大映撮影所)のトーキースタジオの竣工式と戦後の1953年の日活撮影所の地鎮祭等も上映された。堀久作の演説がどちらにもある。

長瀬記念ホール OZU

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