牧野守さんが監督をしていた

日本映画学会の夕方は、シンポジウム『沖縄の記憶と記録』で、世良利和さんの『沖縄県の名所古跡の実況』では、戦前に製作された経緯も面白かったが、戦後の1962年に沖縄で再上映された時のことも面白かった。那覇の桜坂劇場で公開されたが、併映は、大友柳太郎の『紅蜥蜴』だったというのだ。

また、和光大学の名嘉山リサ教授からは、アメリカ統治下で作成された広報映画の詳細が報告されたが、その監督は牧野守さんだった。

牧野さんは、日本映画の資料を一番保有していたが、国内のどこも保存する機関がなく、アメリカの大学に買われてしまった。昨日の国立映画アーカイブでの『最古の忠臣蔵』を発見した片岡一郎さんも、京都の骨董店で映画缶を見て「これは?」と聞くと、

「日本のゲイ・ポルノの映画が多量にあったが、UCLAが買っていった、その残りものです」とのことだったが、

片岡さんが見るとサイレント時代劇で、所有者から買いフィルムセンターに寄贈したのである。日米の映画資料に対する大きな価値観の差がある。

最後は、監督大林宜彦さんのご講演で、会場には車いすで入って来られたが、元気で椅子に着いて声は最後は小さくなったが、映画への愛と強い戦争への反対を語られた。

私は、監督の最初の商業映画1977年の『HOUSE』を見たとき、非常に驚いた。

これは、百恵・友和映画の『泥だらけの純情』の添え物として公開された作品で、私もまったく期待せずに見に行ったが、こちらのほうが非常に面白くて驚いたものだ。

「ガンで数か月」と言っていたが、まだまだお元気のようだったった。

強い北風の吹く中、なんとか石橋駅まで歩き、梅田に行ってホテルに戻った。

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