『日本文化のふるさと 豊松歳時記』

川崎市民ミュージアムのシネマテーク・コレクション、川崎市在住の映像作家で「民族文化映像研究所」の主催者・姫田忠義氏の監督作品。
豊松村は、広島県東部、岡山との境の村で、吉備高原の山間地域、現在は神石高原町である。こんやくの栽培が盛んなところだと言う。

民俗学者宮本常一の影響を強く受けた姫田は、日本各地の伝統行事等を映像化している。
映像による民族学記録だが、これに「民族」を当てるのは少々変で、やはり「民俗」とすべきだと思う。
人種、民族としての日本人を映像化するのではなく、日本各地の普通の人間(柳田國男流に言えば「常民」だが)、を対象として映像化するものだからである。

この日に上映されたのは、1977年に撮影された、豊松村の「冬から春」と「夏から秋」で、それぞれの年中行事、さらに祭礼が捉えられている。
どれも、特に奇異なものではなく、つい最近まで日本中で行われていた年中行事であり、祭りも、実はその数は大変多いのだそうだが、特に見て面白いものではない。

祭りは、本来その共同体の構成員のもので、観光客等の他人が見るものではなく、本当は大して面白いものではないものである。
ここでも、音楽と踊りは、単調なものの繰り返しで、変化に乏しく、見て楽しいものではないが、本当の祭礼と言うものは、そうしたものである。
だが、それが何かの切っ掛けで、第三者に見せるようなものになると、見せるための工夫、技能的修練が重ねられるようになる。
芸能化の始まりとなる。

収穫の後の秋祭りでは、八岐大蛇の舞も披露され、多分酔っていたのだろう、興奮したおじさんが参加しようとするのが、とてもおかしかった。
このヤマタノオロチに象徴されるように、この地域は、出雲、大和、さらに九州の、古代の三つの勢力の中間地点、それぞれがぶつかり、混ざり合う場所だったそうだ。
確かに、古代、吉備は独自の文化を形成したエリアだったが、その一端を窺わせる祭礼だった。
川崎市民ミュージアム

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