『二都物語』


神奈川県演劇連盟50周年記念合同公演で、ディケンズの小説『二都物語』が上演された。
2年前のアフリカ月間の高校生ミュージカル『やし酒飲み』でお世話になった村上芳信さんから、ご案内をいただいたので、桜木町紅葉坂の青少年センターに行く。

ディケンズの小説は、フランス革命を背景にした波乱万丈の物語で、昔読んで面白かった記憶があるが、筋は全く忘れてしまった。
こういう通俗的ストーリーを劇化して、アマチュア演劇が上演するのは大賛成である。
平田オリザらの「リアルな演技」は、本来技量のある役者によって初めて可能なもので、等身大の人間を演じるのは実はとても難しいからである。

話は、フランスのパリとロンドンの二都市を股に掛けて、無実の投獄と出獄、友情、恋愛、復讐等が展開されるものである。
勿論、最後パリでは市民の蜂起があり、民衆の怒りが過激化し、血で血を洗う惨劇へと進んで行く。
民衆蜂起のシーンを見ていると、往年の宝塚歌劇団の大ヒットミュージカル『ベルサイユのバラ』を思い出してしまうのは、私が年寄りだからだろうか。自慢じゃないが、これでも『ベル・バラ』は、全部の組を見ているが、一番良かったのは、やはり最初の、榛名ゆり・オスカルと大滝子・フェルゼンの月組のものだった。

さて、この公演もミュージカルで、主役らは勿論、ガヤの連中までが歌い、踊る。
近年の劇団四季のミュージカルで、芝居が好きになった若者が多いのだから、それはそれで良い。
そして、それなりにやっていることに、この間の日本の若者の音楽やダンスのレベルの向上には驚かざるを得ない。
昔、日生劇場で、初めてミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』を上演したとき、主役では劇団四季の役者は鹿賀武史のみで、マリアはなんと雪村いずみ、アニタは重山規子だったのだから。
そのくらい歌えて踊れる役者は、1970年代でも日本にろくにいなかったのである。

ただ、筋売りの1幕はともかくとして、2幕目でも、見ていて話の展開がよく見えなかったのは、構成の整理の仕方に問題があると思う。
さらにそれ以上に、最近の役者は「自分演技」しかしたことがなく、このような特定の役柄を演じる演技の経験が少ないので、的確に役を演じられないからである。
今年の春に亡くなられた映画監督の井上梅次は、「文藝作品は、役柄に合っていれば、素人でも地で演じられることもあるが、娯楽劇の役は力量のある役者じゃないと無理だ」と書いていたが、ここもまさにそうだった。
大衆劇のステレオタイプの役をきちんと演じることの方が、実は平田オリザ劇を演じるよりもさらに困難なのである。
それは、日活の俳優で言えば、石原裕次郎よりも小林旭の方が、はるかに上手い役者だったことでも、よく分かることであるに違いない。

美術と衣装が少々お粗末だったのは、予算的に仕方がないことなのだろうか、音楽は大変良かったと思うが。
全体に大変感動的だったが、演出家鈴木忠志的に言えば、
「この感動は演劇的感動ではない」ということになるに違いない。
なぜなら、この劇での感動は、アマチュアの若者が「一生懸命にやっている」ということや、フランスでは多くの民衆の血と汗の結晶で革命が達成されたのだな、という一生懸命主義や歴史的事実への感動であるからだ。
だが、私は、こういう感動は十分にあって良い、と思う立場である。
なぜなら、本来演劇というものは、不純な「芸術」であるのだから、そこに非演劇的な感動があっても構わないはずだからである。
脚本・構成・演出土井宏晃
県立青少年センター・ホール

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