馬堀海岸で溺れかける

三浦半島の先の内側に馬堀海岸がある。

かつては、東京湾内で一番水がきれいだった砂浜の海岸があり、小学校に上がる前、私も母と海水浴に行き、大波に呑まれて溺れかけたことがある。

幸い一緒に行った義理のおじさんがすぐに見つけて助けてくれ、今日に至っている。

それは、7月の始めで、夏休みに入る直前だったと思うが、あまり天気はよくなく、人影はまばらだったが、砂と海水がきれいだったことはよく憶えている。

その後、江ノ島に行き、なんて水が汚いのだろうとがっかりしたものである。

それほどに馬堀海岸は水がきれいで有名だった。

だが、30年くらい前に馬堀海岸駅に行き、海岸がまったくないのには大変驚いた。

馬堀海岸は、「諸悪の根源」の西武によって昭和40年代に埋め立てられて馬堀シーハイツ等の高級住宅地に代わっていた。

金沢八景の自然海岸もいつの間にか、西武(こうした埋め立ての場合、施行は西武不動産が行う)によって埋め立てられた。

だが、その後、土地の所有は、西武鉄道にするのだそうである。

昔、港湾局で財産担当係長をやっていた時、西武不動産の担当者で、八景島シーパラダイス社長をされている布留川さんから教えてもらったことである。

その理由は、鉄道会社と言うのは、株式の額も大きく、国の指導・監視も強いので、財産を保持させておくには安全だとのことだった。

なるほどと思ったものだが、確かにその後も必要があって、金沢区内の西武所有の土地と市有財産を交換したが、相手の土地所有者は西武鉄道だった。

その西武も今や外資に株を支配され、はげたかファンドの攻勢に苦しんでいるようだ。

因果応報と言えなくもないが。

今日の昼すぎ、時間があったので、京浜急行で馬堀海岸に行ってみる。

駅前には西友があり、この店を中心に町が形成されているが、今は完全に高齢者の街になっている。

バスで横須賀の中心に出るが、ここには大学1年の時と、5年くらい前に『嫌われ松子の一生』を見るために汐入のシネコンに来たことしかない。

あと1回だけ、係長試験同期のグループの獣医の男が急死したとき、お通夜にきたこともあることを思い出したが、どの駅から行ったのか分からない。

横須賀は坂の多い町で、平地が極めて少なくい都市であり、拡大するには海の方に埋立して用地を確保するしかなかったのである。

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