『あ・うん』

降旗康男は、東映では最も期待される監督の一人で、デビュー作の『非行少女ヨーコ』は今見るとかなり笑ってしまうが、結構評価された映画だった。

『地獄の掟に明日はない』も、筋は『望郷』、音楽はマイルスの『スケッチ・オブ・スペイン』(ロドリーゴ作の『アランフェス協奏曲』)の真似だが、悪くなかった。

だが、その後は、いつも期待を裏切られるばかりで、特に『冬の華』は大げさな宣伝に比べて中身の乏しいものだった。

『鉄道員』、『あなたへ』等もほとんど笑ってしまう映画で、この『あ・うん』もばじめから見たくて見たのではない。

池袋の先に要があって行った戻り時間が余ったので、スマフォで探すとやっていたのだ。こういう時、スマート・フォンは本当に便利だ。

原作は向田邦子で、脚本は元大映京都の中村務、出演は高倉健、富司純子、坂東英二、宮本信子、富田靖子など。

降旗作品の例によって、前半はだらだらと進むが、終盤、寝台戦友の高倉健と坂東英二が、お互いの本心を曝け出してからは、ドラマが生まれる。

そこまでの二人の境遇も性格も違う男が、富司純子を挟んでじゃれ合っているのが不愉快で、見ていられなかった。

軍隊で結ばれた戦友の友情というと勝新太郎と田村高廣の『兵隊やくざ』を思い出すが、高倉と坂東では二人の差異がないので、対比が際立たない。

この二人は、むしろ逆で、原作は読んだはずで、まったく忘れているが、高倉の役は、もっと軽薄なお調子者だったような気がする。

でないと、坂東一家が東京に戻ってくるとき、総てを手配してやるといった無償の行為をする意味が理解できない。

高倉が、坂東一家の面倒を見るのは、富司純子への愛だが、それ以上にこういう他人の世話をするのが好きなお調子者故のようなに思える。

また、逆に見れば、こうした富司純子へのプラトニック・ラブは、戦前だからありえたので、戦後の自由社会では通用しないと言えるだろうが。

坂東と絶交した後、南京陥落の夜、戦勝に浮かれる帝都東京のおでん屋の屋台で三木のり平と飲むシーンあたりから面白くなる。

この前、左翼新劇青年の真木との富田靖子の恋を諦めさせようとし、高倉が富田と古風な喫茶店で会うシーンも良い。

ジャワに転勤する坂東家に行くと、富田靖子は、恋人の真木蔵人のため東京に残ると言い張り、そこに真木が現れて、出征すると告げる。

高倉は、富田を真木に会いに行って来いと送りだして言う。

「彼は特高に睨まれているので帰らない。この夜が彼女の一生になる」

優れた反戦映画になっていて、降旗康男を見直した。

もう一つ、この映画で初めて知ったことがあった。

戦前の当時から、演劇雑誌の『テアトロ』があったことで、早川の『悲劇喜劇』が戦前からあったのは知っていたが、戦前も演劇は結構盛んだったわけだ。

併映の『おもちゃ』は、途中から見たが、新藤兼人の原作は1950年代のもので、それを1990年代に映画化しては違和感が残る。

いつもの深作欣二流のダイナミズムだが、最後の主人公宮本真希の水揚げを大音響、紗を掛けた美しい画面で謳い上げるのはどういうものだろうか。

私は、フェミニズムではないが、いくらなんでも時代錯誤というしかない。

新文芸座

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