堤清二氏とランチを同席したことがある

セゾングループの代表だった堤清二氏が亡くなられた、86歳。

彼の業績は、セゾングループの代表として様々な新規事業をやったが、自身も辻井喬として、詩人、作家としても活躍された。

私が高校生で詩を書いていたの頃、で辻井喬と言う詩人が、次々と詩集を出すので、この人は一体何者なのかと思ったが、後に堤清二の筆名とわかり、なんだと思ったことがある。

今は森ビルになってしまったが、みなといらい21のヨコハマグランドインター・コンチネンタルホテルは、セゾングループの西洋環境開発が筆頭株主で、私がパシフィコ横浜に総務部長として二度目の出向の時、堤氏は、ホテルの取締役をされていた。

パシフィコ横浜も、ホテルの大家であると同時に株主でもあったので、1名の取締役を出していた。

ある時、ホテル会社の取締役会が開催され、本来は取締役のパシフィコ横浜のN常務が出席するところだったが、何かの都合で、

「お前が行け」となり、ホテルの一室で行われた取締役会に私が出た。

議案は特に難しいものはなく、1時間弱で終わり昼食をして散会した。

この時の取締役会の議長は、これも数年前に亡くなられた非常に温厚な方だった夘之木昭氏だった。

夘之木さんは、平田オリザの芝居も見るという人で、第一勧業銀行から来られた方だった。

「平田の芝居なんか見るのですか」と聞くと、銀行時代は演劇部をやっていたとのこと、昔の一流企業の経営者は皆教養があったものだ。

その時、堤清二氏も取締役として出席されていた。

特に目立った発言もされなかったが、思ったより小柄な人出会ったのには、少々驚いた。

終了後、1階のフロアに下りた時、

「ここに当初かけてあった絵があまりにひどいので、家から持ってきて掛けているんですよ」と言われた。

確かパウル・クレーの絵で、さすがと思った。

セゾン・グループの解体の際は、自身の財産もかなり提供されたとのことで、そのあたりは普通の経営者とはやはり違うところだろう。

その功罪はいろいろあるだろうが、1970年代以降に日本の先端的文化を作りだした経営者のご冥福をお祈りする。

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