高山良策が勤めた映画会社とはどこか

土曜日の東京新聞に、板橋区美術館で画家高山良策の展示が行われていることが掲載され、彼は戦時中に映画会社で国策映画作りに当たったと書かれていた。

この映画会社とは、どこだろうか。東宝であり、さらに厳密に言えば、航空教育資料製作所である。

ここは、陸海軍からの軍事マニュアル映画の製作を目的に東宝が秘密の撮影所として1939年に砧に設立したもので、敗戦までに51本の作品を作った。

それは魚雷操縦法や航空母艦攻撃法から半田付けやヤスリの掛け方に至るまで、さまざまなマニュアル映画だった。

もちろん、そこでは特撮が駆使され、担当課長は言うまでもなく円谷英二だった。

真珠湾攻撃に先駆けて、その訓練映画も作られていたのだそうだが、フィルムは戦後焼却したので、1本も残っていない。

この間の詳細については、『黒澤明の十字架』(現代企画室)に書いたので、興味のある方はぜひお読みいただきたい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする