社会党はなぜダメになったのか 「人格だけならノーベル賞ものだ」

「歴代の日本社会党の代表は、人格だけならノーベル賞ものだ」と言ったのは、田中角栄だっただろうか。
今回の衆議院選挙で、野党第1党党首の落選は65年ぶりと言われ、グズ哲と言われた片山哲。
衆議院選挙で勝利して片山内閣を組織するが、内部の左派の反乱で総辞職する。
だが、この時、占領軍のGHQが一番期待していたのは吉田茂ではなく片山哲で、クリスチャンで高潔な政治家だった。
左右統一後の鈴木茂三郎は、「青年よ、銃を取るな!」と叫んで共感を呼び、人間機関車浅沼稲次郎は、本来は右派だったが、反安保の盛り上がりの中で、反安保の強硬派になり、それが元でテロに倒れる。

河上丈太郎から成田知巳、そして土井たか子、村山富市までは、そうした人格的な立派さが社会党代表にはあり、組織はひ弱で、政策も非現実的なところがあったが、多くの国民の支持を集めていた。
だが、社会党の党員、政治家が民主党に移行していく中で、党首になった福島瑞穂には、硬直したリゴリズムしか感じることができなかった。
そして人格的な立派さもなかったように私には見えた。
彼女でなければ、今回のように共産党の下になると言った凋落もなかったのではないかと思う。
現在の吉田氏は、それなりの方なのだろうが、失礼だが田舎の議員と言う感じで、全国的な政党の代表と言うには、役者が不足している。

もっとも、政治家に人格など不要と言う人も多く、現在の維新の党の橋下徹らは、積極的にそうしたことを否定しているようだ。
「建前よりも本音が重要」と言う時代なのだろうが、本当にそれで良いのかと思うのだ。
少なくとも与党ではなく、野党の政治家には人格性が求められるのが、日本の政治風土である。
小渕優子や松島みどりが圧勝するのに、渡辺義美は落選したのが、その例である。
では、野党第1党の民主党の党首には、誰が相応しいのだろうか、それは来年には分かることであるが、一応期待したい。

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