『福寿草』

1935年に新興キネマ東京撮影所で作られたサウンド版の映画、原作は吉屋信子で、ここでは女子高生の薫と、その兄と結婚した美代子との友情を描く。

                                      

役者は、誰も知らないが、まあ普通の演技である。

サウンド版とは、サイレントの末期に、音楽だけを録音した映画で、筋はタイトルと弁士の説明によって進行させるもの。

この理由は二つあり、サイレント時代の楽士たちをクビにできることと、当時は人間の声をきちんと録音することができなかったためである。

この日の活動弁士は、片岡一郎で、4人の楽士がついていた。

話は、もともとは村の村長の家で、裕福だったが、兄が役場の戸籍係でありながら、株に手を出して家が破産してしまう。

兄は言う、「中農の運命はこんなものだ」

この時期は、昭和恐慌で、一夜にして家や会社が破産することがあったのである。

また、美代子は、貧困を救うために、針仕事をやっていて、体を壊して結核に倒れ、療養所に入所することになる。

父と兄は、「大陸に行こう」と中国に行くことになる。すでに満州国ができていて、時代は「事変景気」で一転好況になっていたのである。

薫は、学校の寮で暮らし、最後卒業の時のバザーで、家の家宝だった福寿草を100円で出品する。

誰も手を出さないが、一人100円の値を付けた女性がいた。

それは療養所から出てきた美代子で、二人は感激の再会を喜ぶ。

卒業した薫は、父たちを追って中国に行くところでエンドマーク。

話は、小津安二郎の名作『戸田家の兄弟』に類似しているが、この方が先である。

撮影が黒澤作品でも有名な中井朝一で、俯瞰の画面が多かった。

大泉学園・ゆめリアホール

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