『原節子の真実』 石井妙子 新潮社

昨年、9月に亡くなられたことが発表された原節子の伝記であり、最もきちんとした取材に基づくものだと思う。

彼女と小津安二郎があたかも「純愛」があったような書きぶりで売った本とはレベルがちがう。

                                      

この本で初めて知ったのは、彼女の姉の光代が、日活のきちんとした女優であり、また脚本を書くなどの知的な女性だったことだ。

彼女は、言うまでもなく監督の熊谷久虎と結婚し、姉と熊谷の強い願いで、会田昌江は、日活多摩川撮影所の女優・原節子になる。

時に15歳で、初出演作品『ためらう勿かれ若人よ』の役名の節ちゃんを取って原節子とするように、安易な命名であり、さして期待されたデビューではなかった。

だが、J・Oで山中貞雄監督の『河内山宗俊』に出ていた時、ドイツの監督アーノルド・ファンクに見いだされ、とんでも映画『新しき土』に抜擢されたあたりから、一躍有名になる。

大島渚は、「女優は良い仕事なので、普通結婚しても辞めないものだが、中には結婚すると二度と出てこない女優がいる」として、桑野みゆき、芦川いづみ、そして山口百恵を上げていて、彼女たちは自分自らの意志ではなく、家族などの家庭の事情で映画に出ていたからだとしている。

その意味では、原節子も、家庭の事情で映画女優をしていた人だったのだと思う。

最初の映画界入りが、没落しつつあった会田家の家計を助けるものであり、戦後も外地から戻ってきた姉たちの家族、さらに映画『白魚』の撮影中に事故死してしまった実兄のカメラマン会田吉男の残された母子を養うために、映画に出続けたのである。

だから、そうした負担が亡くなった1960年代に自然に引退したのは、ある意味で当然のことだったと言えるだろう。

この熊谷久虎監督の映画『白魚』での事故は、円谷英二か誰かの本で読んだが、特撮を知らない連中の愚かしい事故だそうだ。

鉄道の線路にカメラを据えて撮影したところ、暴走してきたSLに撥ねられたというのだが、これは線路に45度で鏡を立て、線路の脇にカメラを置いておけば起きなかった事故だった。

だが、本物主義で右翼的な熊谷には到底思いつかなかった技術だろう。

まことに痛ましいことであった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. なご壱 より:

    原節子の真実
    「原節子の真実」読了しました。確かにほかの原節子本に比べて内容が濃かったです。途中、山嘉次や黒澤に赤紙が来なかったと指摘するところで、指田さんの著書「黒澤明の十字架」での御説が引用されていて説得力があると石井さんは言っていました。私も同感です。

  2. ありがとうございます
    自分で言うのも気が引けるのですが、やっとあの本の意義も理解されてきたなという感じです。