『わが青春に悔いなし』

これを見るのは何度目か憶えていないが、見る度に変な映画だなと思う。

この作品は、昭和21年のキネマ旬報ベスト5では2位になっている。

1位は、木下恵介の『大曾根家の朝』で、その差は3点。その理由は、飯島正が、黒澤明作品を5位にしているからで、木下は2位、1位を衣笠貞之助監督の『ある夜の殿様』にしているからだ。おおむね黒澤作品には評価が高い飯島だが、この『わが青春に悔いなし』の評価は非常に低い。

多分、その理由は、この作品の持つある種の異常性だろうと思う。

筋は、昭和初期の京大事件、滝川事件のことと、太平洋戦争直前のスパイ・ゾルゲ事件をつなげたものである。

作品の背景となる資料については、製作の松崎啓治が担当したが、彼は京大時代は共産党員で、転向後映画界に入りPCLで黒澤作品等を撮らせた後、戦後は新東宝に行く。

そこでは、日本最初のヌード映画(と言っても前田通子の後ろ姿だが)を作った後は、松崎プロでPR映画を多数作った。この時期に作った有名なテレビ映画が、実写版の『鉄腕アトム』で、このひどさが手塚治虫に自分でアニメーション作品を作らせた原因だとされている。

この映画は、三つの部分に分かれている。最初は1928年の京大事件と学生たち、原節子と藤田進、河野秋武の三角関係。学生には田中春男もいて笑える。大学の情景は京大もあるが、東大や早稲田での撮影のあり、結構大変な撮影だったと推測する。

次は、5年後の1933年、河野秋武は検事になっていて、彼の口から藤田進が東京で研究所の所長になり中國問題の専門家になっていると聞き、いきなり原節子が上京して再会し、同棲する幸せな日々。だが、警察に二人は逮捕されて、藤田はスパイ行為をした「売国奴」とされ、藤田は獄死してしまう。

すると、ここからが異常で、てとも理解しにくいのだが、原はなぜか藤田の実家に行き、農業を手伝う。

母は杉村春子で、父は高堂国典。

田んぼの鋤返しから、田植えまで原節子は異常な思い入れで取り組む。その理由は、「私は野毛(藤田の役名)の妻だから」である。そして苦労の末に、田植えした田んぼを村の農民から全部荒らされたとき、父も激怒し、苗を元に植え直す。

そして昭和20年の敗戦、原は京都の実家に来るが、また「田舎に行く」と言って戻っていく。

彼女を新しい時代の指導者として迎える農民のトラックに乗り込む原節子の顔。

まさに青春に悔いはないとの晴れ晴れとした表情で。

これは何だと思う。

反戦と民主主義賛美、帝国主義批判は、元左翼の松崎や脚本の久板栄二郎のものでそれはそれでよい。

だが、いつ見ても異常に思える、原節子の農民としての頑張りは何なのだろうか。

私は、戦勝末期に黒澤明が企画し映画化できなかった『荒姫様』の応用問題だったと思う。

『荒姫様』は、山本周五郎の『笄濠』を原作とする話で、秀吉の小田原攻めの時、忍城の成田氏が石田三成勢の攻撃をあの手この手で撃退したことを基にした、原節子主演の作品のはずだった。脚本まではできたらしいが、馬が集まらずに、製作中止なる。植草圭之助の『わが青春の黒沢明』に書かれている。

そこでは、城の主力の侍は小田原城の攻防に行っていて、城は奥方と老人で守っている。さらに農民や商人等も加わって濠を作るなどして石田方に対峙している。

和田竜の『のぼうの城』と同じ話である。

山本の小説では、ある時、町人が濠の中で、高価な笄を見つける。

「これは奥方様のものでは」と城内に上がり、奥方様に差し出すと、そこに座っていたのは、奥方そっくりのお姫様だった。

つまり、奥方様も、濠の構築作業に加わっていたという、「国民総動員」であり、黒澤作品も露骨な戦意高揚映画だったのである。

ここからは私の推測だが、この奥方と姫を、黒澤は原節子の「二役」でやるつもりだったと思う。高貴な姫と泥まみれの奥方の二役を原節子にやらせるつもりだったのでないかと思う。

だから、その応用作品である映画『わが青春に悔いなし』では、前半の原節子は非常に幼くお嬢様にしているが、最後になると泥まみれの農婦風に変身するのである。

このように黒澤明には、思想性はなく、彼の本質はアクション映画監督だと私は思うのだ。

勿論、黒澤明の才能はすごいと高く評価するが、戦意高揚映画を民主主義賛美映画に簡単に転換させるなど、思想性はないのだと思う。

堀川弘通さんによれば、この時期に彼は黒澤に聞かれたという「民主主義ってなんだ?」と。

もちろん、黒澤も若い時は、共産党の周辺団体の非合法活動に参加したこともあるが、そこには党による一方的な「指導」はあっても、党内民主主義などなかったのだから、黒澤明が知らなかったのも当然である。

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