『豊穣の海』

『豊穣の海』は、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の4部からなる三島由紀夫の最後の小説で、私は6年前に買って全部持っているが、まだ読んでいない。

ただ、2005年の映画『春の雪』は見ていて、結構面白かった記憶があり、今回の劇を見て1幕が終わって休憩になって、「これはほとんど『春の雪』ではないのか」と思った。

終了後、パンフレットを読むとその通りで、脚本の長田育恵は、「4部を順に舞台化するのではなく、『春の雪』を中心に他を適宜入れ込む」ことにしたと書いている。

これはきわめて有効な方法で、そうしないと劇にならなかったからだろう。

吉本隆明は、「劇的言語帯は、物語的言語帯の上に成立する」と書いていて、要は筋がないところに劇は成立しないということである。

私は、全部を読んでいないので、明確には言えないが、想像すると『春の雪』以外の『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』は、相当に観念的で劇化することは大変に難しいと推測される。

その意味で、『春の雪』は、松枝清顕(東出昌大)と綾倉聡子(初音映莉子)という若い男女の恋の悲劇であり、メロドラマ的に組み立てるのに好都合である。

映画では、竹内結子の裸が宣伝されたが、実際は妻夫木聡君の褌姿が美しく、「三島先生が見たら喜んだろう」と思ったが、ここではセックス・シーンはなく残念だった。

話は、二人の恋愛の過程に、松枝の友人本多繁邦が転生していく筋が入れ込まれているので、かなり混乱する。

本多役は、大鶴佐助、首藤康之、笈田ヨシと高校生から老人まで変身してゆく。

タイで弁護士となった本多が、若いタイの女性に変身したジャンの松枝に性欲を抱くのは、三島の性的欲望を示していて興味深い。同性愛的傾向であるのは言うまでもない。

演出のイギリス人マックス・ウェブスターは、長田の脚本と共に上手くやっていると思うが、もう少し歌舞伎的演出があっても良かったのではと思った。

松枝の脇腹にある3つの黒子など、三島の趣向はきわめて歌舞伎的なのだから。

紀伊国屋サザンシアター

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