土曜日の日本ポピュラー音楽学会の最後は、「懇親会」で、ここでは総会で会長になられた井上貴子さんとお話しした。
井上さんは、桐朋音楽大学出で、アジア音楽の関谷元子さんとは、大学の同級生なのだ。
井上さんから、
「この学会でも、初期は中村とうようさんは、大変に熱心に活動されていたが、いつかから辞めてしまった。恐らく、音楽評論家として、とうようさんの言説と合わない方も学会にはいて、それが気に入らなかったのではないか」とのこと。
昔、私もウォーマッド横浜のためによく会っていたころ、中村とうようさんは、この学会の設立に向けて、三井徹先生などと奔走されていた。その時、よく言っておられたのは、
「アメリカの大学ではプレスリーで卒論を書く人もいるのだから、日本もいずれそうなるんだよ」で、今やそうなっている。さすがである。
中村とうようさんは、異常に喧嘩早い人で、ラジオやテレビの番組などでも長く続いたものはほとんどない。
多分、どこかで途中でスタッフと企画で喧嘩になってしまったのだと思う。
先日放送大学のある番組を見ていたら、スタジオに垂れ下がっていた布の提供は井上貴子先生の名になっていて、
「こんなところにも井上先生は活躍されているのか」と思ったところだった。
会長としてもご活躍を期待したい。