『ここに泉あり』

今井正が、群馬県高崎の群馬交響楽団をモデルに昭和30年に監督した作品で、テレビとビデオで3回見ているが、スクリーンで見たのは初めて。
川崎市民ミュージアム。

2時間30分と大変長いが、オリジナル版はさらに30分以上あったらしいが、現在はオリジナル版は、ビデオにもない。
カットされているのは、タイトルにあるピアニスト草笛光子のエピソード全部、さらに田舎の小学校の演奏会の細かいシーンなどのようだ。
実は、そこには湯野川和子こと、音楽評論家湯川れい子さんが女教師役で出演しているそうだが、今はない。

有名な共産党員で、社会主義崩壊後、評価が下がっているらしい今井正だが、私は大変高く評価している。
この映画でも、左翼文化運動の駄目なところをきちんと描いており、現在見ても十分鑑賞に耐える。
主人公のマネージャー小林桂樹の井田亀夫が傑作な人物で、空理空論ばかりで、実務、金銭感覚がなく、みんなから「尻抜けの亀さん」と言われている。
多分、こうしたいい加減な、愛すべき人物は左翼文化運動に多くいたのだろう。大変上手く描いている。
勿論私は、この映画が描く、「クラシック・イコール・文化」という図式には賛成できない。
田舎の小学校の移動教室に行った帰り、分教場から来た生徒が楽団員に向かって遠くの道から手を振る。
小林は言う、
「彼らは分教場に帰り、炭焼きや木こりになってもう一生二度と生の音楽を聴くことはないだろう」
そうではあるまい。
彼らは、今は毎日自家用車でスナックに行き、カラオケを歌っているに違いない。
カラオケが文化でないと誰が言えるのか。
村松友視ではないが、ジャンルに上下の差別はない。
クラシックが偉く、演歌がくだらないと言うことはない。
それぞれのジャンルの中に、良いものと駄目なものがあり、ひどいクラシックもあれば、優れた演歌もあるのだ。この辺は、映画は映画として、強く言っておきたい。

著名な指揮者として山田耕作本人が出てくるが、このときすでに左半身が麻痺していて動かず、杖を突いて歩いており、彼は、かなり若いときに脳血管障害で倒れたことになる。(と書いたが、調べると、彼はこの映画が作られた7年前の1948年に64歳で倒れており、それほど若くして倒れたわけではない。この映画のときは71歳)
また、ピアニストで室井麻耶子さんが出てくるが、彼女は現在も85歳でお元気に演奏会をやっているのだそうで、すごい。
役者では、女優は岸恵子をはじめ草笛光子、奈良岡朋子、そして湯川れい子さんも生存しているが、男優で生きているのは、多分小林桂樹と子役で出ている河原崎次郎くらいだろう。
加東大介、岡田英次、東野英次郎、清村耕治、伊沢一郎、三井弘次、中村是公、十朱久雄、近衛敏明、島田屯、原保美みんな死んでいる。

水木洋子のシナリオがとても良くできていて、何度も危機に陥るがその度に危機を脱する仕方が、論理的で無理がない。また、岡田英次と岸恵子が結ばれるシーンもロマンチックに上手く作っている。
今井は、後に映画『夜の鼓』のとき、増村保造からは「古い」と中平康からは「下手くそ」と言われたが、そんなことはない。ここでも、各シーン毎に描き方を変えて撮っている。
戦後の超満員の列車のシーンは、大変大掛かりなロケーション撮影であり、この頃が左翼独立プロの最盛期であったことを示している。

いつものことだが、団伊玖麿の音楽がうるさいが、一応音楽映画なので、余り気にならなかった。

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コメント

  1. 熊々 より:

    『ここに泉あり』
    初めまして。
    いつも楽しく拝見しております。
    『ここに泉あり』は自分にとっても印象的な作品でした。最近はこういうストレートな「良心作」というのがあまりないので、『ここに~』は新鮮でした。曲者ぞろいの団員の中、大らかな小林桂樹が光っていましたね。爽やかな岸恵子と、次第に穏やかな性格になってゆく岡田英次も好演していたと思います。