『11人の侍』

1960年代初頭、東映京都で、集団抗争時代劇時代があった。
これは、それまでの中村錦之助らのチャンバラ時代劇が不振となったことの結果で、その原因の一つは、黒澤明の『用心棒』の大ヒットによる残酷などリアルな描写の衝撃だった。
集団時代劇は、雑誌『映画芸術』等で、大きく取り上げていられていたが、長くは続かず、東映はチャンバラ時代劇からヤクザ映画に移行して大ヒットとなる。

この『11人の侍』も、見ていたと思っていたが、映画『大殺陣』の間違いで、これは見ていなかったが、大変に面白かった。
ただ、話が忍藩家老・南原宏治と、老中水野の佐藤慶との権謀術策合戦となっているので、少々煩瑣になっている。
館林藩主で、将軍の弟松平斉厚役の菅貫太郎が異常な男で、忍藩領に勝手に立ち入り、押しとどめた藩主阿部正由を射抜いてしまう。
言わば仇討で、夏八木勲、里見浩太朗らの忍藩の下級武士が結束して、江戸に行き機会を狙う。
さらには急に館林に逃げ込もうとする斉厚を待ち伏せして殺害しようとする。
水野と館林藩家老の大友柳太朗は、急遽館林に戻らせようとして、夜に出立させ、藩領の手前の大川まで来る。
大友は、すぐにも川を越えさせようとするが、菅は自分勝手な男で、豪雨に耐えられず川端の農家で、雨宿りすると言う。
そこに、夏八木、里見らが襲って来る。
ここからは強烈な殺陣になり、最大の見せ場になる。最後、一身に加わった浪人の西村晃の手で、菅の首は切られる。
最後、タイトルが出て、忍藩取り潰しは止めになり、斉厚は病死になる。

この集団時代劇は、短な時間で終わったが、ヤクザ映画が行き詰る1970年代に、実録として『仁義なき戦い』シリーズを生むことになる。その証拠に、この『11人の侍』の撮影の吉田貞次は、深作欣二の『仁義なき戦い』のカメラも担当するのである。
国立映画アーカイブ

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