週末は、土曜に川崎市民ミュージアムで大島渚の映画『飼育』を、日曜に新国立劇場で新作オペラ『おさん』を見たが、どちらも羊頭狗肉だった。大島の『飼育』は、大江健三郎の小説ではなく、きだみのる原作・渋谷実監督の『気違い部落』であり、『おさん』は、「火曜サスペンス劇場」だった。
『飼育』を見るのは38年ぶりで、1967年に早稲田の映画研究会が上映したのを見て以来。
この作品は、パレスフィルムが作り、新東宝の清算会社・大宝が配給し、その後大宝も潰れたためか、上映されることが極めて少ない映画である。
話は、大江の原作とはほとんど関係なく、小説から持ってきたのは、戦争末期に寒村に飛行機が落ち黒人兵を捕虜にし最後は殺した、ということだけ。大江のフェティシズムも性的な描写もない。
映画では、村長(むらおさ)の三国連太郎をはじめ、山茶花究、浜村純、岸輝子、三原葉子、加藤嘉など、せこい百姓と、戸浦六宏の役場の小役人の矮小な争いに終始するのである。
脚本の田村孟が助監督をしたこともある、松竹のいじわるじじい・渋谷実の映画『気違い部落』にきわめて似た感じなのだ。それはそれで面白いのだが、大島には渋谷のような皮肉はないので、中途半端な印象である。
オペラ『おさん』は、近松の原作を現代に置き換え、おさんは女社長、治平は自殺した夫、小春は愛人というのだが、なにしろ現代劇をオペラのベルカント唱法で歌うのだから、実に珍妙。
ほとんど台詞は分からないが、オペラには字幕がある。
日本語の劇で字幕が左右の柱に出るのを始めて経験した。
昔、中国や台湾で京劇を見たことがあるが、中国語には「四声」があり、歌にすると意味がほとんど不明になるので、字幕を使うのだが、日本語で出たのはびっくりした。
それほどおかしな劇なのだ。日本のオペラやクラシツクがいかに奇妙なものであるかが、よくお分かりになるだろう。
筋は、治平と小春の心中は、実はおさんが殺したもので、最後におさんは悔いるという、よく「火曜サスペンス劇場」でやっているものと同じだった。
この台本・作曲の久保摩耶子なる女性のレベルは、その程度のメロドラマなのだろう。
彼らのトークは新国立劇場のサイトで見られますので、興味のある方は見てください。
昔からそう思っているのだが、日本のオペラは本当にくだらないと思った。
なにしろ、こんなにつまらないオペラにブラボーがでるのだから、それはブラボーではなく、べラボーである。
近松が書いたときは、実際の事件に取材したきわめて下世話なものだったのだから、火曜サスペンス劇場になるのは正しいもかもしれないが。なにしろ想像どおり大変な代物であった。
コメント
オペラ
火曜サスペンス劇場のオペラとは・・!
まったく想像がつきませんが、
メロディはどんなものだったのでしょう?
火サス・オペラのメロディは
出だしはクルト・ワイルのような、シェーンベルグのような、現代的な響きがしましたが、後はそれどころではない内容のばかばかしさで響きなどどうでもよくなりました。
本当にこの久保摩耶子の頭の中を見たくなった。