『椿姫』

たまにはオペラを見に行く、新国立劇場。

ベルディのオペラ『椿姫』は、フランスの小デュマ(アレキサンドル・デュマ・フィス)の小説を原作としたもの。
「乾杯」の歌からなじみの曲のオンパレード。
だが、第3幕冒頭の悲壮なメロディーは、とても繊細で19世紀的ではなく、意外にも現代的だった。

物語は、パリの高級娼婦ヴィオレッタが、金持ちの息子アルフレードとの純愛に目覚め、恋仲になる。
だが、アルフレードの妹の婚約に差し障りがあると、離別を父親から懇願され、別れる。
ヴィオレッタの裏切りと誤解したアルフレードは、一端は激怒するが、最後はヴィオレッタの「愛想尽かし」の芝居だったことが分かり、再度愛しあう。
だが、ヴィオレッタは不治の病の結核で死ぬ。

オペラの常で、話は馬鹿らしいが、メロドラマとしては大変良く出来ている。
最後、再会したヴイオレッタが、アルフレードの目の前で衰え死ぬところ、急速にかつ劇的に死ぬ向かうところが上手い。
主人公二人は外国人歌手。
ヴィオレッタのソプラノは、かなり肥えていて結核で死ぬようには見えないが、この程度は芝居では許される範囲内だろう。
昔、日活の映画『絶唱』で、舟木一夫の腕の中で死ぬ和泉雅子は、丸々と太っていて、到底結核で死ぬ女には見えなかったが、映画と劇は違う。
一緒に見に行った人は、マアチュアの『椿姫』をやったことがあり、聞くと「演出はほとんど同じ」だそうだ。
オペラも歌舞伎のような「型式の芸術」なので、基本的な演出はプロもアマも同じなのだろう。
全体として演出は極めてオーソドックスに見えたが、専門的にはどうなのだろうか。

ヴィオレッタの「高級娼婦」という概念が、良く分からない。
日本で言えば、銀座のクラブのホステスのようなものだろうが、フランスでは時代的な意味があったようだ。
高級クラブに無縁の私には良く分からない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする