満州国も同じだった


昨日は、横浜の朝日カルチャーセンターでの、『「昭和天皇実録」に見る満州事変』の五回目で、主に満州国の実態に付いてだった。
いろいろあったが、満州国の官吏は、日本人が多くいたのだが、底では一応日本の国や軍等の籍を抜き、満州国の官吏になっていたことだ。
これは、今の日本の役所から第三セクター等への出向の際にも行われることで、私は三回横浜市から民間に出向した。
最初は、パシフィコ横浜で、このときは、出向とは言っても、本人の給与は全部横浜市持ちだった。
パシフィコ横浜が払うのは、市外出張旅費だけで、健康保険も横浜市職員のままだった。
二回目の、横浜市コンベンションビューローへの出向の時も同じだったと思う。
最後の、パシフィコ横浜への二回目の出向の時は、大きく変わって、給与はもちろん、その他も全部パシフィコ横浜のもので、健康保険も横浜市とは切り離されて、中小企業の健康保険である「政府管掌健康保険」になった。
多少、給付内容が違うのだが、特に大きな病気はなかったので問題はなかった。
これは、どこの市だか忘れたが、市から三セクに出した職員の費用負担につき、住民から訴訟があり、市側が負けたからである。
その後、横浜市に戻り、すべては横浜市の制度になった。

さて、満州国の官吏、国務大臣秘書官浅井源二郎の娘は、浅丘ルリ子こと、浅井信子である。

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