フィルムセンターで、亀井文夫作品の『モデルと写真家』と『砂川の人々』を見る。
『モデルと写真家』は、文芸エロだった。
戦前に「説教エロ」があった。
「こんなことはいけませんよ」と言いつつ、実はエロいものを見せる趣向で、明治時代には、梅毒患者の陰部を見せる有田ドラッグの「衛生大博覧会」という見世物があり、大いに人気を博したそうだ。
戦後も説教エロは、新東宝が得意としたもので、『純潔教育研究』などと言ってエロ映画を盛んに制作していた。
その後裔として「文芸エロ」路線もあった。
高級で難解な文学的物語を深刻に見せつつ、実はエロを売り物にするもので、日本アートシアターギルド作品の多くが、実はそうだった。
先日読んだ本の中でも、石堂淑郎は自作の『無常』が大ヒットし、その余禄で後に2本出来たと書いていた。
そして、アート・シアターの「文芸エロ」路線は、1970年代に日活ロマンポルノが出ると、存在理由を失い、急速に駄目になる。
さて、1958年の映画『モデルと写真家』は、文芸エロ映画の先駆であろう。
ヌード写真(ここではグラマー写真と言っている)の若手写真家中村正也が、自分のスタジオ、お屋敷、さらに海岸で、モデルを相手に写真を撮る風景がただ続く。
映画としてのドラマは、全くなく面白くもなんともない。
解説が当時マダム・キラーと呼ばれた低音のアナウンサー竹脇昌作(竹脇無我の父)で、至極真面目に言うので、ほとんど喜劇だった。
こんなくだらない作品を亀井文夫ともあろう者が、と思ったら、編集のみ。
撮影も記録映画仲間の瀬川浩さんなので、皆さんのアルバイト映画だったのだろう。
モデルは、芳村真理以外は、知らない女性。
制作が亀井文夫の会社・日本ドキュメント・フィルムと東宝芸能なので、ヌードモデルは、日劇ミュージックホールのダンサーたちに違いない。
『砂川の人々』は1950年の作品で、日本ドキュメント・フィルム社の最初の作品だそうだ。
都下砂川町の米軍基地拡張のため、防衛庁と調達庁、さらに警察が砂川町の住民の土地を収用するために測量に来る。それを住民、支援労組、団体等の阻止行動を描く。と言っても、スクラムを組み、座り込むだけだが。
解説に「左・右社会党、労農党」などと言っているので、この頃はまだ社会党も左右に分裂していたのだ。
加藤勘十(左派社会党)の顔も見える。
最後に映画は言う。
「砂川にくいは打たれても
こころにくいは打たれない」
けだし、戦後の反体制陣営から出た名台詞の一つだろう。
この頃の革新陣営には、鈴木茂三郎社会党委員長の
「青年よ銃を取るな!」
などの名コピーがあった。
今の反体制陣営に欠けているのは、こうした造語、新語作成能力である。
金と力のない反体制派は、言葉で勝負しなければいけないのだ。
それを逆に小泉純一郎に、
「郵政民営化、是か、非か、国民に聞いて見たい!」
などと言われたのだから、選挙で敗北するのも当然だった。