庶民消滅の後

公開中の映画『私は貝になりたい』について、「主役の中居正弘と仲間由紀恵が庶民スターだろうか」と書いた。
だが、よく考えると、今や日本の社会には、かつては存在した「庶民」が存在しなくなっているのではないか、と思えるようになった。
「格差社会」の進行の中で、現在の日本には中流と貧民しか存在しないのではないか。勿論、少数の高額所得者層はいるだろうが。
そうした、近年の日本の社会構造の変化に対応して出てきたのが、あのインチキくさい『Always 三丁目の夕日』に代表される「昭和3年代ノスタルジア映画」だと思う。
先日、小林信彦の本を読んだら、彼も『Always 三丁目の夕日』に出てくる「東京の道路の幅が広すぎる」と書いていたが、私も見たときにそう思った。

小泉純一郎内閣による現在進行中の「格差社会」に比べれば、昭和30年代の方が、「貧しくとも皆明日に向かい、互いに助け合って生きていた」というのは、嘘っぱちである。
昭和30年代の方がむしろ格差は大きかったと思う。
それを縮小させたのは、社会党のみならず、歴代自民党の政策、社会の富の再配分政策である。あるいは、田中角栄的政策と言った方が分かりやすいだろうか。
戦後日本の保守政権は、世界的に見ればきわめて奇妙なことに、再配分政策を取ってきた。それが、戦後日本の安定と成長の源泉だった。
それをぶち壊したのは、小泉内閣である。
今後、自民党は歴代の再配分政策をまた取るのか、やめるのか、大変難しい時期に来ていると思う。

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